甲斐武田を探検っ!!

 

常昌寺 多田淡路守常昌墓碑

 

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長野県富士見町の常昌寺です。長野県と言っても自動車で5分も走れば山梨県北杜市!せっかくなので、紹介してしまいます。パソコンで調べた地図などでは「先達地区公民館」と記載されているほうが多いようです。ただ、道路からですとしっかり常昌寺が視認できますので、行きやすいはずですよ!

天正三年(1575)、多田淡路守常昌によりこちらのお寺は建てられたそうですが、それ以前に享禄元年(1528)武田信虎が信濃(諏訪地方)と戦火を交えた際、ここに築いた「先達城」がありました。そこの城将として多田氏が任じられています。城の遺構はしっかりと確認できないのですが、地名をみると「城」があったことを偲ぶことができるのだとか。

 

お寺の敷地入口にこの地の説明板があり、さらにその横と境内右側に「先達城址」の石碑が建っています。

 

前述しましたが、地区の公民館と使用され、普段は無住かな・・・?本堂右手に墓地があり、その中に特に案内などもなく、多田常昌のお墓はあります。彼は長篠の戦いで討死したそうですが、このお墓は天保年間(1830-1844くらい)にその長篠古戦場から写しとってきたものだとか。

さて多田淡路守常昌ですが、きちんとした文献ではちょっと不明な人物なのだとか。つまりは実在したかどうかが確かめられていない・・・と。武田氏に仕え有名な人物は二十四将にも数えられる「多田淡路守満頼」永禄六年(1563)病死、その孫で長篠の際織田軍に捕らえられ、信長に気に入られ仕えるように誘われますが、逆に斬りかかり成敗された久蔵などがいますが。どうなのでしょうか?

境内にポンプ車?ですかね。なにか懐かしい感じです。

そういえば、この辺りの甲信国境は武田信玄が諏訪氏との取り決めにより諏訪氏に割譲したときのままだとか、何か聞いたことあるような・・・ウル覚えで申し訳ないです。また調べておきます!

 

多田淡路守常昌墓碑

法名「近海常通居士」。墓碑自体はなかなかわかりづらいのですが、法名を覚えておけば、簡単に見つけることができるはずです。

さて、彼は多田氏の誰なのでしょうか?

 <2007/10/4>