甲斐武田を探検っ!!

       諏訪南宮大神社

 

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史跡・関係地名:諏訪南宮大神社/伝武田逍遥軒信綱寄進扉絵など

住所:山梨県笛吹市境川町寺尾

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:△

売店:×

地図:

関係人物:武田信玄・武田逍遥軒信綱・曽根玄尊など

 

<甲斐唯一>笛吹市境川町寺尾地区、曽根丘陵の上に鎮座する諏訪南宮大神社。境川村誌に記載される社記によると、治承年間(1170-1180)本願曽根玄尊(曽根氏の祖)が造営したと伝わります。祭神は建御名方命と金山彦命。甲斐国内で唯一、諏訪南宮を名乗る神社で、もとは両社並列して旧地にありましたが、天正後今の地に移し両社殿を分けてしまったのだとか。この両社並列の扉絵が武田逍遥軒信綱(信廉)の寄進と伝えられ一社分は現在下曽根福蔵神社本殿扉絵になっているそうです。本殿扉絵は開き戸になっており左右両双によって一画面を形成しており、一種の金碧画で金箔押しの板戸に濃彩で杉松を描き、雲形も描かれているのだとか。裏には桜絵があり、逍遥軒の金碧画と知られるものはこれが唯一・・・。現在公開されていないようなので、是非直に見てみたいものです。

<諏訪明神と武田信玄>武田信玄は、諏訪明神を厚く崇拝していたとして有名です。「南無諏方南宮法性上下大明神」と記された諏訪神号旗を軍事の際には使用していたと伝えられたり、また彼の代名詞でもある「諏訪法性の兜(兜に白い毛がついているものです)」はあまりにも有名ですよね。「諏訪法性上下大明神」を記された前立を飾ったので、このような名称?俗称?の兜になったんだとか。ちなみにこちらには、武田信玄による元亀元年(1570)九月九日付の上杉輝虎(上杉謙信)討伐と関東での勝利を願う祈願文も蔵すとか。

甲陽軍鑑によるとその諏訪法性の兜は信玄亡き後、遺言により勝頼が使用したそうですが(長篠の退却時に重かったので一度捨てたそうですが、家臣の小山田弥助が気をきかせて拾ってきたそうです)現物は残されていません。ただ雲峰寺にはその兜に飾られたという諏訪明神像が伝わっているそうです。

武田信玄・勝頼と信仰の厚かった諏訪明神、こちらももちろん武田家戦勝祈願の神社なのでした。

周辺の甲斐武田氏関係地:勝負ヶ池光照寺坊ヶ峯観音堂など

参考文献:境川村誌・甲斐国志・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2007/3/19 2011/2/28リニューアル>