甲斐武田を探検っ!!

       信玄堤

 

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史跡・関係地名:信玄堤・用水隧道開削碑など

住所:山梨県甲斐市竜王

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信玄・平岡和由など

 

<城づくりだけでない甲州流>全国的な知名度になっている信玄堤、竜王地区付近に行ってきました。 国道20号のすぐ近くにありますし、駐車場もあるので行きやすいと思います。

この信玄堤ができる前、釜無川と御勅使川は合流地点から甲府盆地内部に流路を変えており、現甲斐市(旧竜王)を横切り甲府市南部で笛吹川と合流していました。更には笛吹川との合流までの流路がしっかり安定していなかったようです。そのような状況もあり、洪水も頻発していたとか。しかし、先人達は試行錯誤をかさねたのでしょう「石積出し」「将棋頭」そして「信玄堤」などの整備で徐々に釜無川の流路を甲府盆地西側に安定させ、現在に至っています。逆に言うと、甲府盆地中西部は河川整備されるまで、安定的に穀物などが収穫できなかったと言うことになります。広大な面積ですから、河川流路を変えることは甲斐を治めるものにとっては優先課題だったのではないでしょうか?

写真は信玄堤(明治時代に築かれたもの)から見た釜無川下流。川沿いに「聖牛」と呼ばれる、いわゆる水流を弱める細工が並んでますね。

聖牛のアップ。現代版聖牛はコンクリートでできていますが、当時はもちろん木材でした。説明板によると「聖」は当時でいう「スーパー」「ウルトラ」のような意味であったのだとか。現代的に言うと「スーパー牛」でしょうか。

こちらは信玄堤からの釜無川上流です。右に写っているのは高岩。御勅使川の水流を高岩に当てるように流路変更するところから甲斐の水防は始まったといってもよいのでは?

信玄堤正面には御勅使川源流地域が見ることができます。

古文書などにより、信玄の時代頃(もしくはそれ以上前)から竜王付近の水防工事は行われていたことがわかっています。ただし、現在の堤防など全てが武田氏の時代に構築されたわけではなく、まずは竜王付近を一番最初に手をつけ、江戸〜明治時代にいたるまで、じっくり時間をかけて下流方面に向かい水防工事を行っていきます。ちなみにこの信玄堤公園にある川沿いの一番大きな堤防は明治時代に築かれたもの。その堤防の外側には古くからの堤防の一部が残っています。古いとはいえ、信玄時代のものではなく、江戸時代のもの。信玄時代の水防施設は残っていないようです。

すぐ近くには三社神社、すこし歩くと竜王河原宿。また、釜無川流域の韮崎市・南アルプス市にも釜無・御勅使の水防の歴史が多く残されています。これらをめぐって、甲州流土木技術を堪能してみるのも楽しいと思います。

 

<平岡次郎右衛門和由>公園内「青少年ホーム」建物前には用水隧道開削碑が建っています。新田開発のため用水路を建設した代官平岡和由を慕い、村民が建てたものです。この事業は和由の子勘三郎良辰の代、慶安五年(1652)に完成し、飛躍的に農作物の収穫量が増えたのだとか。現在でも竜王の用水確保の重要施設として機能しています。とても大きな仕事を成し遂げた平岡父子です。なお、石碑は甲斐市指定史跡で、表面に刻まれた平岩和由の法名は「大翁玄広居士」です。

周辺の甲斐武田氏関係地:竜王河原宿・高岩・三社神社慈照寺など

参考文献など:山梨県史資料編7・山梨県立博物館シンボル展「信玄堤」パンフレット・新歴史群像シリーズ闘神武田信玄・甲府盆地に残る虚構と真実/古屋兼雄など

<2006/8/11 2011/4/19リニューアル>