甲斐武田を探検っ!!

 

逍遥院 武田逍遥軒信綱祠

 

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甲府市桜井の逍遥院、英和大学の近くです。自動車ですと、周辺道路は整備されているので行きやすいと思います。

逍遥軒信綱(信廉)は、武田信玄の弟(兄として上から、竹松・信玄・犬千代・信繁・信友そして信廉)で、大泉寺の武田信虎画像などの画家として(のほうが?)有名な人物です。あと、影武者としても有名ですよね!しかし織田・徳川軍の甲斐・信濃侵攻時、信濃の拠点大島城から早々に退去してしまった・・・・というところが彼の武将としての評価を低くしてしまったんでしょうね。その後結局織田軍に捕捉され、府中の相川で処刑されます。

こちらのお寺には信廉が生前自作した本人の位牌があります(なかなか見るのは難しいそうですが)。またこのお寺近くに信廉の屋敷があったと伝えられています。南アルプス市にも「武田信廉館跡伝承地」というものがありますが、よくわかりません・・・

 

逍遥院境内に入り、本堂の左手に行くとすぐに祠があります。詳しい年代は不明ですが、逍遥院十六世鴻運の代に創建され、二十五世廣岳の代に復元されたものです(甲府市の石像物より)。

逍遥院は桜井という地区にありますが、この地区から武田氏・徳川氏と奉行をつとめた桜井安芸守信忠がでているそうです。彼の屋敷跡も地区内にあるそうです。

 

 武田逍遥軒信綱祠

法名は逍遥院殿海天綱公庵主。祠は高さ103cm×幅71cm×厚さ113cm(甲府の石像物より)。文化人信綱です。

<2006/8/11 2009/3/31一部修正>

武田信廉の石祠のむかって左隣にちょこんと石祠がありますが、コチラは信廉嫡子、信澄(祠側面には平太郎信隆と記されています)の祠です。彼は、病気のため天正四年(1576)12月27日に16歳で死去してしまったと言われています。

法名は雪庵宗梅禅定門。

<2007/7/18 追加>

以前に、撮影するのは難しいかも・・・と言っていた、信廉が生前に彫った位牌の写真撮影ができましたのでご案内です。

写真ですが、左から、正面・裏・裏のアップとなっています。この位牌の大きさ1m以上(!)。中央の写真に人が写っていますので、大きさが想像できるかと思います。正面には信州岩村田龍雲寺の北高大和尚が書き、それを信廉自ら彫った法名が。裏には彫った年号(天正七年三月)と花押が彫られています。

立派です、大きさが。しかも本人が彫ったモノをこうやってじかに間近で拝見することができました。当時の思いが伝わってきそうですよね!とてもいい機会に恵まれました。逍遥院の皆様、山梨県立考古博物館史跡文化財セミナーの皆様、ありがとうございました。

<2008/6/2 追加>