甲斐武田を探検っ!!

       勝負ヶ池

 

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史跡・関係地名:勝負ヶ池

住所:山梨県笛吹市境川町坊ヶ峯

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×(農作業の邪魔にならぬよう)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:武田信虎・油川信恵・岩手縄美など

<甲州内乱と坊ヶ峯>永正四年(1507)、病弱であった武田信縄が亡くなると、その子信虎が跡を継ぎます。しかし、信縄が跡を継ぐときも反乱を起こしている信縄の弟、油川信恵。今回も当然のごとく反乱を起こし甲斐は2つに分裂。郡内小山田氏や信恵の弟岩手縄美、盆地東部の有力国人栗原氏などが油川氏側につきます。そんな危機的状況の中、永正五年(1508)十月四日信虎は坊ヶ峯に陣をかまえた油川軍に奇襲をかけます。不意に襲われた油川軍は、信恵さらにその子弥九郎・清九郎・珍宝丸、岩手縄美、栗原惣次郎などが討死し壊滅。その後信虎は各地域の抵抗勢力を撃破し、天文元年(1532)九月逸見の今井氏を降服させ、甲斐統一を成し遂げます。

<中沢山密蔵院>境川村誌によると、かつてこの地に現在は廃寺となっている天台宗延暦寺末中沢山密蔵院がありました。村誌中で寺記を引用していますがそれによると、密蔵院は密蔵坊天額了雲により享禄三年(1454)創立で大いに興隆しますが、元和年間に暴風雨で倒壊。その後一度再建されますが、明治十六年再び暴風雨により全壊。以後再建には至っていないのだとか。その密蔵院にあったというのが勝負ヶ池。由来もある霊池であったそうです。ということは、油川軍がこの寺院に陣取った可能性もあるということは、創立年代からみて容易に想像できます。少なくとも何かしら利用はされているはずですね。

<伝説の池>また、村誌にちょっとした伝説が載せられています。それによると、勝負ヶ池(菖蒲ヶ池とも)は昔の古戦場であり、丘陵の頂きに七つの池があったという。開墾以前(大正初期以前)には大きな杉桧が多くあり、その中に枝の垂れた杉の木があった。これは信玄公がここで飯を食ってその箸を挿したものが大きくなったものだという。そのとき逆さに挿したので枝が下を向いている・・・のだとか。

さらに、毎年五月五日端午の節句の夜には池の底から刀の鍔競り合いの音が聞こえてくる。勝負=菖蒲なのでしょうか?・・・そんな伝説も残されています。

 

<写真を頼りに探検気分で>甲府盆地南部に広がる曽根丘陵。その中で、笛吹市境川町にある坊ヶ峯(棒ヶ峰とも)はテレビ局の送信所のアンテナがあり、夜間はライトアップされていたりして目立つはず。ここにはチョットした展望台もあり、盆地が一望できます。ハイキングなどにも利用可能です。

さて。今回は2008年の「広報ふえふき七月号」で坊ヶ峯が紹介されているのを発見し、そこに掲載されていたわずか1枚の写真を頼りにとりあえずテレビ塔を目指してみました。かなりダメ元だったんですけども・・・。しかし、テレビ塔手前の右手に「勝負ヶ池入口」の看板があり助かりました(2008年当時なので現在看板の状況は不明)。看板通り右に入り、少し進むと左手の畑が少し窪んでいます。写真と照らし合わせると、そこが探していた「勝負ヶ池」。かつての面影はなく現在池は枯れており、くぼ地がなんとなくその想像をさせてくれるのみです。

周辺の甲斐武田氏関係地:坊ヶ峯観音堂泉龍寺光照寺など

参考文献:境川村誌・広報「ふえふき」・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会・武田信虎のすべて/柴辻俊六など

<2008/7/7 2011/2/28リニューアル>