甲斐武田を探検っ!!

 

新府城跡(曲輪など)

 

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新府城内の慰霊塔などはこちらにどうぞ。

新府城は、韮崎市の七里岩という台地上にあります。こちらのお城、武田勝頼が真田昌幸らに命じ天正九年(1581)二月十五日着工。それから十二月二十四日、未完である城に勝頼らが入城。しかし翌年三月三日には織田・徳川の圧力のもと、焼け落ちてしまったという悲しいお城です。非常に短い期間しか使用されていませんが(天正壬午の乱の際、徳川氏が若干使用したようですが)、その不運さからでしょうか、かなり有名な城跡のひとつとなっています。

 

駐車場から歩き、まず当然のように見える階段。これをのぼると一気に本丸跡(藤武神社があります)に着くのですが。階段脇には一応迂回する坂道(急かな・・・少し)があるのですが、それでもナカナカ疲れます(私自身体力ないんですけどね)・・・。また、本丸を最初に見てしまうとチョット物足りないといいますか。

それならば、ということで階段の向かって左手。一般車は通れないのですが、整備用車両が通る道があります。歩く限りはまったく問題ありませんし、こちらから行くと坂も急ではなく、また大手門(いわゆる正面入口)から順をおって新府城を見ることができるのでおすすめです!

 

しばらく進むと左手に大手門(正面入口)が。キッチリ桝形(ますがた)が残されて、その先に進むと丸馬出(まるうまだし)、三日月堀の虎口(こぐち)施設を楽しめます。うまく写真撮れていなくて申し訳ないです。結構素人な私の場合、城跡に行ったりすると「ナニここ?」ということが多いのですが、ここは見れば「おおっ!!」。感動してください(笑)

桝形・丸馬出・三日月堀、これらは武田氏特有の築城技術だとも言われています。武田氏滅亡目前、武田氏の城つくりの集大成だったということですよね。

この大手門の南方には仁科・小山田などの家臣団屋敷があったと伝わっています。これも興味深々なのですが、今回はパス〜

 

 

再び道に戻り坂道をボチボチ歩き、次は右手に三の丸跡。中央を土塁が走り、左右それぞれ「西三の丸」、「東三の丸」と呼ばれています。中央の土塁ですが、上の4枚の写真の左下。断面が見れるようになっています。それを過ぎ、「馬出」と呼ばれる場所を進んでいくと・・・

 

二の丸跡に到着します。広い平地となっていますね、説明だと54m四方だとか。上の左の写真は本丸方向からの写真です(東から西方面を撮っています)。この西の向こうはなにかあるのかね?なんて思い行ってみますと、見事に崖です(笑)それも高い高い。眺めはよいですが、怖いですかなり。

もう本丸はすぐそこなのですが、せっかくなので乾門(搦手/いわゆる裏口だそうです)跡を見に行きましょう!二の丸跡の北に行く小道があるのでそこを進むと井戸跡などを眺めつつ、急な勾配も若干あったりするのですが、頑張って乾門跡にたどり着きます。

 

上の左の写真。これが乾門跡、桝形虎口となります。現在調査とあわせ、整備が進んでいるようですね。こちらも整備のおかげでしょうか?非常に確認しやすい状態になっていました。ただ行くときに急な坂・細い橋がありましたので、そこは注意してくださいね。とはいえ、これが武田の城つくりの集大成かぁ〜、なんてすっかり感慨にふけってしまいました。

なお城内整備中で、一部通行不可になっていました。自分が行ったときは城跡北側の堀に沿った道。出構(でがまえ/上右の写真です)見ながら乾門見れるかな?と一番最初に歩いて、通行止めだったので引き返しました。

ということで、もう一度二の丸跡に戻り、もうチョット歩くと本丸跡に到着。階段(東)とは逆の西から出てきます。本丸跡、藤武神社周辺には説明板もバッチリありますので、行った場所の復習ですね!

「しっかり城内をご案内!」などと言っておきながら、かなりはしょった内容に・・・時間的には2時間はかけて、じっくり見たほうが楽しめると思います。それと地面がぬかるみ、坂道なので滑ります。雨などの悪天候時は十分注意してください。

・・・ここはかなりおなかいっぱいになりますよ!公園整備も楽しみです。なお新府城周辺は広範囲にわたって、遺構や言い伝えなど残されています。こちらもまた紹介できれば、と思っています。

新府城内の慰霊塔などはこちらにどうぞ。

 <2008/3/29>