甲斐武田を探検っ!!

       芍薬塚 伝武田四郎勝頼遺児墓所

 

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史跡・関係地名: 芍薬塚

住所:山梨県笛吹市春日居町鎮目

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:○

売店:×

関係人物:武田勝頼・渡辺加兵衛など

<勝頼の遺児>「しゃくやくづか」と読みます。天正十年(1582年)3月3日、織田徳川連合軍の甲斐侵攻を受け、武田勝頼は新府城に火をかけて小山田信茂が領する郡内地方(現都留市・大月市など)に向かいます。その途中、まだ2歳という自分の子を春日虎綱覚えの衆、渡辺六左衛門の孫加兵衛らに預けていきます。
  勝頼は土壇場で小山田信茂に見放され、田野で自害。その後、加兵衛らは遺児となった勝頼の子を必死に匿いますが、その甲斐むなしく翌年病死してしまいました。その子は加兵衛らにより密かに葬られ、墓所の周りには子供が生前好んだ芍薬が植えられ、芍薬塚と呼ばれるようになりました。

<富田武陵と芍薬塚>長い月日が流れ、芍薬塚は荒れてしまいます。それを残念に思った渡辺孫太郎兵衛らは、文化四年(1807年)芍薬塚を自身の屋敷に移し整備し直します。石碑も建てました。それがここ「芍薬塚」です。
  石碑は、現山梨大学の前身、甲府学問所の教授であり、甲斐国志の編纂にも関わりのある富田武陵の撰文・書となっています。


 


<所在地>甲府方面からですと、国道140号を進み、山梨岡神社入口を過ぎ、「鎮目」信号を右折して進むと右手にあります。ただし、信号からの道路は広くはないのでお気をつけください。
  芍薬塚より山梨岡神社まで徒歩10分程度、旧芍薬塚も同じく10分程となっています。

 

周辺の甲斐武田氏関係地: 旧芍薬塚 山梨岡神社 など

参考文献:笛吹市広報・武田氏年表/武田氏研究会編など

<2006/8/11・2016/1/15修正>