甲斐武田を探検っ!!

       祐徳山泉勝院

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ks023

史跡・関係地名:曹洞宗東林院末祐徳山泉徳院

住所:山梨県甲州市勝沼町勝沼

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(数台)

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:勝沼信友・勝沼信友夫人(勝月院殿)・勝沼信友母(崇昌院殿/信虎母)など

 

<祐徳山泉勝院と勝沼氏>甲州市勝沼町勝沼にある祐徳山泉勝院。すぐ横にはワイナリー、周囲は葡萄畑、少し南には甲州街道が走っています。寺記によると泉勝院は勝沼信友夫人が母の菩提をともらうために創立し、勝沼武田氏の菩提寺と伝わっています。

勝沼信友は武田信虎の弟といわれ、この地域を領し郡内小山田氏・北条氏の監視役などをつとめた人物です。なお「勝沼」は地名であり、実際の文書などには「武田左衛門大輔信友」などと残されています。これは穴山氏などにもいえますね。泉勝院開基は「甲斐国志」によると、勝沼局「勝月院誓庵理鳳大姉」と伝わり勝沼殿「福正院殿光山輝公大禅定門」または「長遠寺殿快翁道俊大禅定門」、同奥「崇正院殿華岳妙栄大姉」の位牌が伝わります。ちなみに「福正院殿」「長遠寺殿」は勝沼信友と考えられています。勝月院殿は信友夫人、「崇正院殿」は「崇昌院殿」と同じ読みですので、信友と武田信虎の母だと考えられています。泉勝院に信虎の母の名が出てくるのは、信友と信虎は同腹の兄弟であると言われる由縁のひとつとなっています。崇昌院殿の菩提寺は広厳院になります。

 

<勝沼氏その後>勝沼信友は北条氏との戦いで天文四年(1535)討死。また、夫人は弘治三年(1557)二月十日死去と寺記に記されています。「武田氏研究40号」の秋山敬氏によると、信友死去後、勝沼の地は府中の今井氏(勝沼今井氏)が治めます。今井氏は甲府盆地東部の有力国人栗原氏と懇意であったようで、結婚を繰り返しそこで力をつけていき勝沼を治めるようになったとされます。しかし勝沼今井氏(当時当主安芸守信良)は永禄三年(1560)長尾氏(後の越後上杉氏)内通により、粛清されたと考えられています。永禄三年は勝沼信元が粛清されたと伝わってきましたが、大善寺に伝わる文書などから勝沼信元の存在が再考されなければいけない状況となっています。

周辺の甲斐武田氏関係地:勝沼氏館跡大善寺など

参考文献:甲斐国志・武田信虎のすべて・勝沼町誌・武田氏研究40号「府中今井氏の消長」・甲斐国社記寺記他

<2008/2/23>