甲斐武田を探検っ!!

 

正安寺 小山田備中守虎満墓所

 

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近くを通りかかったものですから、前々からチェックしていたこちらのお寺にお邪魔してしまいました。甲斐(山梨)じゃないんですよ。長野県、そう信濃です。すこし見ただけですが他県にもイロイロありますよね!「甲斐以外の甲斐武田を探検っ!!」とかつくっちゃおっかなーなどと考えています(笑)しかしとりあえずまだまだなので、ここで案内いたします・・・・

こちらの正安寺(しょうあんじ)、国道254号沿いにあります。このまま国道を走ると内山峠を越え群馬県に入ります。

もとをたどると延久四年(1074)まで遡ることができるお寺だそうですが、室町時代くらいには廃寺同然だったそうです。それを甲斐から来訪した海秀禅師がこの地の領主であった内山美作守の協力を得て、文亀元年(1501)曹洞宗正安寺を開創しました。

のちに、天文十五年(1546)に武田晴信の命により内山城主となった小山田備中守虎満(昌辰とも)から多大な保護を受けたそうです。また、菩提寺にもなっています。かつては上原伊賀守と名乗っていましたが、天文二十年(1551)9月、石田の小山田氏を継いだのだそうです。

備中守虎満は、主に信虎の時代に侍大将として工藤下総守虎豊(内藤昌秀の父親)・内藤相模守虎資・馬場伊豆守虎貞(三人は信虎に諫言し、成敗されてしまいました)らとともに活躍した人物です。天文二十一年(1552)亡くなったといわれています。虎満の子には、仁科盛信副将として高遠城で討死した小山田備中守昌成(昌行とも)などがいます。

彼らは北山筋石田(現甲府市石田)のあたりに居を構えていました。同姓で郡内小山田氏がいたので「石田の小山田」、虎満は子昌成も備中守なので「古備中」などとも呼ばれました。

 

小山田備中守虎満墓

とともに内山美作守のお墓もあるそうなんですが。奥から三つくらいまでが怪しいかなぁ・・・奥から二つ目が小山田備中?

・・・こんな説明で申し訳ないです(汗)付近には説明版もありません(お寺の駐車場には、正安寺の由緒?の説明版あります)。たまたまこのお墓を写真に収めていた、我ながら奇跡に近いなぁと感動したお寺です。

 <2006/12/21>