甲斐武田を探検っ!!

 

笹尾塁跡

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

トップへはこちら→

 ht001

大永七年(1527)武田信虎は信濃国佐久郡の伴野氏を支援するという名目で信濃に侵攻しますが、信濃の豪族らが連携し武田軍を撃退します。その後は諏訪氏と交戦状態に陥り、度々国境付近で合戦が行われます。しかし、享禄四年(1531)になると飯富氏栗原氏などが突如府中を退去し御岳に引籠もり、それに同調して今井氏大井氏までも武田信虎に叛旗を翻します。その今井氏と姻戚関係にあった諏訪頼満は今井氏を支援。「神使御頭之日記」という信濃の諏訪大社上社神長官守屋頼真が残した史料によると、一月に甲斐へ侵入し篠尾(現笹尾)に砦を築いています。その後四月十二日、諏訪軍は韮崎河原辺まで進出、しかし武田軍に敗北し多数の死傷者を出し諏訪に退却します。

その後、諏訪氏と対立し武田に亡命した金刺氏が籠ったり、さらには笹尾石見守の居城とされたということですが、笹尾石見守の件の詳細はよくわかっていません。

 

上記のように、甲斐と信濃の間で重要な拠点であった笹尾塁跡(笹尾砦)ですが、最近整備されたようで真新しい駐車場がありました。またこちらへの道も整備されたようで「城山」という表示に向かえば特に問題なく到着できるはずです。

 

入口?付近にある説明板によると、一部の遺構は畑などになってしまっているそうですが、遺構はかなりわかりやすい形で残されています。土塁や虎口など・・・ほとんど詳しくない自分でも、ここは・・・なんて、敷地内を散策できました。

 

周辺には散策用の小道が作られていたりします。周辺の地域とあわせ、ウォーキング・・・かな?

 

左上の写真は城跡から諏訪往還(江戸時代からは甲州街道と呼ばれました)を見たものですが・・・高いです!この高さなら遠方まで見渡すことが可能です。ちなみに右上は麓からの写真です。

南アルプスも目前に見ることができる、笹尾塁跡でした。

 <2008/12/10>