甲斐武田を探検っ!!

 

最恩寺 穴山勝千代墓所 

 

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武田勝頼の時代、親族衆筆頭であった穴山信君ですが、勝頼を見限り徳川氏に内通。武田氏滅亡後に徳川家康と訪れた京で本能寺の変に巻き込まれ殺されてしまいます。そこで穴山氏を継いだのは、信君嫡子で当時11歳の勝千代(信治)でした(母は信玄の娘、見性院)。しかし、11歳の子がイロイロ取り仕切るというのはかなり無理(ゼッタイ無理)がありますので、信君からの重臣、穂坂常陸介・有泉大学・芦沢伊賀守元辰などがしっかりもりたて、駿河国山西などと甲斐河内地方(現山梨県の南部)の統治に当たります。

徳川家康は、武田氏とも血縁が深い勝千代に対し武田氏相続を許し、武田家を継がせようとします。しかし勝千代は天正十五年(1587)疱瘡が原因で16歳で死去してしまいます。穴山氏の本流はこれで途絶えてしまいます。

さて勝千代ですが、当初は駿河の松源寺に葬られましたが、のちに母見性院によりこちらのお寺に改葬されたんだとか。ちなみに見性院ですが、徳川秀忠の子、保科正之を密かに育てた人物として有名です!

 

左の写真の仏殿は室町時代、応永二年(1395)に建立されたんだそうです。

お寺の横にはお茶畑。日本のお茶どころとして有名なのは静岡県ですが、この辺にも「南部茶」という特産品があります。ゼヒ一度機会があればどうぞ。

最恩寺の場所ですが、地図どおりに行けば問題ないと思います。中途半端に看板や案内板を期待すると、自分のように迷ったり通り過ぎたりしますので注意ください!看板などはなにもないですから(笑)!!

 

穴山勝千代墓

本堂の裏にあります。説明版などは、ないです・・・

法名「最恩寺殿勝岳守公居士」

 <2006/11/26>