甲斐武田を探検っ!!

       徳雲山龍岸寺 真田隠岐守信尹墓所

 

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史跡・関係地名:曹洞宗徳雲山龍岸寺/真田隠岐守信尹他三代墓所

住所:山梨県北杜市長坂町長坂上条

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:真田信尹(信昌・昌春)・真田幸政・真田幸信など

  

<真田信尹と龍岸寺>晴れた日には八ヶ岳が綺麗に見える北杜市長坂町にある曹洞宗徳雲山龍岸寺。こちらのお寺の場所ですが、国道20号と国道141号の間の台地上を走る七里が岩ラインを使用すると行きやすいと思います。周辺道路はそれほど広くはないのですが、比較的わかりやすいのでは。真田信尹は慶長年間、所領でもあったこの地の龍岸寺本堂などを再建し、このお寺の中興開基となります。龍岸寺の寺紋は六連銭であり、武田菱と仲良く並ぶ六連銭が自分的には結構嬉しい構図だったりします。またお寺には、真田信尹墓所はもちろん真田家遺品の陣笠や裃などが伝わります。

<真田本家と徳川の橋渡し>真田隠岐守信尹(のぶただ・信昌・昌春ともいいます)は真田弾正忠幸綱(幸隆)の四男で、天文十六年(1547)に誕生します。つまりは真田左衛門佐信繁(幸村)の父、真田安房守昌幸(三男)の三歳違いの弟。さらに言うと、武田二十四将に数えられる真田源太左衛門尉信綱が幸綱の長男、真田兵部丞昌輝が次男となります。武田勝頼は天文十五年(1546)生まれですので、同世代ということでしょうか。武田氏に仕えていた頃の信尹は、加津野氏の名跡を継ぎ加津野市右衛門を名乗り、勝頼の近侍でした。甲陽軍鑑では安西平左衛門・今福新右衛門昌常とともに槍奉行三人の内に数えられています。

長野県上田市の真田宝物館には「黄八幡」の旗が残されています。これは永禄十二年(1569)相模古沢新城攻めで北条綱成の旗印「黄八幡」を合戦中に得て、信玄からそれを武勇名高い北条綱成にあやかるようにと拝領したと言われているモノです。そして天正十年(1582)武田家が滅亡するといち早く徳川氏に仕え、兄昌幸の徳川帰属の橋渡しを務めたと伝わります。徳川家旗本になった信尹は、徳川の情報を随時昌幸に流していたのでは?とも考えられています。とは言われても、表面上真田昌幸とは少々距離を置いていたようですね。後の大坂の陣では徳川家康の使番なども務めています。

 

<真田隠岐守信尹墓>信尹は寛永九年(1632)五月八十六歳で死去しています。法名は「徳盛院殿真田無済大居士」。こちらの墓所には信尹夫妻以下、幸政(法名祖西院殿樹山林白大居士・幸信(法名寂照院殿明岸了光大居士)の三代が葬られてます。

 

 

杉の大木に寄り添うように建っているのが(右上の写真)真田信尹の墓石。

<屋敷跡も残されて>北杜市須玉町大蔵地区に、少林寺というお寺があります。須玉町誌によりますと、こちらは真田隠岐守信尹夫人(少林寺殿月浦宗香大姉・馬場美濃守信春娘と伝わります)が中興開基なのだとか。さらにこの大蔵地区には信尹の屋敷跡(徳川期ですが)もあります。

周辺の甲斐武田氏関係地:長坂氏屋敷跡清泰寺・清光寺など

参考文献:甲陽軍鑑・甲斐国志・須玉町誌・HP信州上田真田ロマンなど

<2006/8/19 2010/2/14リニューアル>