甲斐武田を探検っ!!

       延命山黄梅院跡

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ki012

史跡・関係地名:延命山黄梅院跡 黄梅院殿(信玄長女・北条氏政室)菩提寺

住所:山梨県甲斐市龍地

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信玄・黄梅院殿(信玄娘・北条氏政室)など

<黄梅院跡>甲斐市の旧双葉町龍地の台地上にある黄梅院跡ですが、案内板によると黄梅院殿と呼ばれた武田信玄の長女(勝頼の姉)の菩提を弔うために建てられたと伝わります。しかしながら、明治初期には廃寺となり「跡」となっています。現在は周辺にあった石像物を集めて置いてある状況です。

こちらのお寺跡ですが、甲府方面から行こうとすると場所的にわかりにくいかも知れません。韮崎方面から甲府方面に向かうように行くほうがわかりやすいと思います。地元では山の手通り(地図などでは穂坂路など)と呼ばれる道を左に入ると左手にありますが、それほど大きい史跡ではないので(自分はかなり大きいものを想像していました)注意してください。さらに駐車場もありませんから・・・・路駐・・・・ですかね?近隣にご迷惑をかけないようにお願いいたします。

 

<黄梅院殿と武田氏そして北条氏>黄梅院殿と呼ばれる人物は天文十二年(1543)、武田信玄と正室三条氏の長女として生まれました。ちなみに武田義信は天文七年(1538)、勝頼は天文十五年(1546)生まれです。彼女は天文二十三年(1554)12歳で相模の北条氏政に嫁ぎます。これは甲斐・相模・駿河三国同盟維持強化のための政略結婚ですが、彼女は相模北条氏五代当主氏直をはじめ多くの子宝に恵まれます。しかしながら、永禄三年(1560)今川義元討死の後、永禄十一年(1568)武田氏の駿河侵攻により三国同盟も完全に破綻し北条氏政とも離婚、甲斐に戻り翌年永禄十二年(1569)五月十七日27歳で亡くなったと伝わります。

また、彼女は信玄にたいへん可愛がられていたらしく(信玄は自分の子供はかなり可愛がったようですけどね)、彼女の安産を祈る願文が冨士御室浅間神社(冨士河口湖町)に残されています。また、北条氏政に嫁ぐ際の花嫁行列は1万人が護衛したとか!

<箱根の金湯山早雲寺>黄梅院殿は北条氏とのかかわりが深いということは前述の通り。その黄梅院殿の墓所は神奈川県箱根町の臨済宗金湯山早雲寺にあったようです。と、いうのは現在ではよくわからなくなっているようなので。早雲寺は大永元年(1511)に建立されたお寺で、開基は北条氏綱となっています。

箱根の駅前などは人でごった返していましたが、お寺周辺は落ち着いた趣で訪れる人も多くはありませんでした。小田原北条氏五代の墓所はやはり一度は訪れておきたい場所ですね。このほかにも北条幻庵作の庭園などもあり。箱根に行ったらゼヒ!

 

地図(早雲寺):

 

小田原北条氏五代墓

右から早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直となっています。黄梅院殿の夫は氏政ですから、左からふたつ目です。

武田氏とも非常に深い関わりを持った小田原北条氏でした。

周辺の甲斐武田氏関係地:慈照寺飯田河原合戦供養板碑など

参考文献:甲斐国志・武田氏年表信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2006/11/10 2010/5/16リニューアル>