甲斐武田を探検っ!!

       岩殿城

 

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史跡・関係地名:岩殿城(岩殿山・丸山公園)

住所:山梨県大月市賑岡町強瀬など

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○(駐車場から本丸まで約40分)

説明板:○

売店:×

地図:

 

 

関係人物:小山田信茂・武田勝頼など

<小山田氏と岩殿城>新たに築いた新府城をわずか三ヶ月で破棄した武田勝頼は小山田信茂の薦めにより岩殿城を目指しますが、小山田氏の突然の拒否にあい、途中田野の地で討死し甲斐武田氏は滅亡します。甲斐武田氏滅亡と大きく関わっている岩殿城。

古くからつい最近まで(資料によっては現在も)、郡内小山田氏の本城・もしくは詰め城などとも言われている岩殿城ですが、最近では甲斐と相模境目の拠点として、甲斐武田氏の勢力化にあったと思われています。当時小山田氏の本拠は現都留市であり、仮に小山田領北端に位置する城であったとしても、なおのこと本拠・詰め城の考えは否定され、更に小山田氏の発給文書が大月周辺から北部方面には残されていないということを「甲斐小山田氏」の中で萩原三雄氏は記しています。事実、天正九年(1581)に国中(甲府盆地)の武田家臣が城番として入っていたとわかる文書が残されています。このようなことから、相模・武蔵から小田原北条氏の脅威があった際、武田信虎などがここに本格的に城を築き、その後も狼煙台や物見台として使用されていたと思うほうが普通であろうと「甲斐小山田氏」は伝え、さらには新府城築城時にともに整備された可能性も捨てきれないとしています。さらに築城者・年代も不明となっています、一部に小山田氏が築城したという話がありますが、これも根拠がありません。わかっていたようでまだまだわかっていない岩殿城です。

<武田三名城>上野国(現群馬県)岩櫃城・駿河国(現静岡県)久能山城と並び武田三名城もしくは関東三名城に数えられる岩殿城。見た目からも堅固な山城です。遺構も多く残されていますので、登り甲斐はあると思います。

 

岩殿山手前に10台ほどの駐車場がありますのでそちらに駐車。少し歩くと「岩殿城跡入口」になります。

 

10分ほど登ると「ふれあいの館」という場所に到着。トイレなどはこちらで済ませましょう。目指すは建物裏に大きくそびえる山頂です!こちらから30分程度で頂上に到着します。

 

登山道はよく整備されています。階段と砂利道が続きます。階段が結構きついですね。

 

途中で一枚岩を横から見ることができます。ご覧のようにほぼ垂直。さらにしばらく進むと岩殿城と兜岩の分岐点が現れます。兜岩方面に進むと初心者は厳しい稚児落としという岩場に行くことができますが、今回は兜岩方面はパスし岩殿城を目指しました。

 

しばらく登るといよいよ遺構が残る場所に入ります。まずは揚木戸(揚城戸)に到着、巨大な岩の間を進む仕組みの城門となっています。ここを封鎖されてしまうととても厳しい城攻めになってしまいます。右は揚木戸を通り過ぎ振り返って撮影しました。

 

揚木戸を通り過ぎると左写真の番所跡。面積はそれほど広くはないのですがこちらに兵を配置して門や城周辺を監視していたと思われます。番所を過ぎると尾根に到着しますので、右に折れ山頂(本丸)を目指します。因みに標識左手にも平坦地があり、西の物見台と呼ばれています。

 

尾根沿いに少し進むと二手に道が分かれます。右に進むと展望台。左の道は馬場などを通り本丸に向かっています。展望台からでも本丸に行くことができますが、展望台は最後のお楽しみにしました。

 

 

馬場を通り過ぎ、武器などを保管したと伝わる蔵屋敷を通り一段登ると本丸(主郭部)に到着。平坦部いっぱいに張られている通信施設などの金網が迎えてくれます・・・。

 

狼煙台の柱も建っていますが、主郭の遺構は通信施設建設の際に整地されているのでしょう、まるでわかりません。ただし、金網南側を進むと・・・

 

大きな堀切が飛び込んできます。かなり下に説明板がありますがわかるでしょうか?この堀切(更に東方にもう一つあるようです)で東側尾根からの侵入も完全に遮断しています。

 

 

城中心部にある馬場という場所からは、井戸に行くことができます。二つの池があり、今も水を湛えています。ただし、夏場に向かうと道がわからなくなっています。右上の写真のように完全に藪を進むことになりますのでご注意を。

<城下を確認しながら一休みを・・・>山城跡として有名な岩殿山ですが、一般的には東京から近い気軽なハイキングコースとして知られているようです。麓から40分ほどで絶景が楽しめます。また山登りの最中もうっそうとした木々の中を歩きがちに成りますが、こちらは眼下に広がる町並みを見ながら登ることができるので、飽きるということもないと思います。

東方、上野原・東京方面です。中央自動車道が左から下にかけて走ってます。

大月市の町並み。桂川の渓谷も深く、天然の要害を更に際立たせます。左下に「ふれあいの館」の屋根が見えます。

西方、右奥は笹子峠。それを越えると甲府盆地になります。中央左に奥に伸びる町並みがありますが、ことらは都留市方面。郡内小山田氏の本拠となっています。その奥には富士山も見えるはず・・・ですが、また次回のお楽しみに。

周辺の甲斐武田氏関係地:円通寺・稚児落とし・浅利信種墓所猿橋など

参考文献:図解山城探訪第17集/宮坂武男・天正壬午の乱/平山優・甲斐小山田氏/丸島和洋など

<2012/8/24>