甲斐武田を探検っ!!

 

恩昌寺 武田勝頼娘(武田姫)墓所

 

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韮崎市中田町の恩昌寺です。JR中央本線新府駅の近くにありますので、これなら車でなくても大丈夫かな?

武田勝頼の築城した新府城跡がJR中央本線を挟んだ反対側にあります。それほど離れていませんので、ちょっとした散歩みたく歩くのもいいのかなぁ?また、周囲の道は少し細いと思いますが、駐車場もありますので車でももちろん大丈夫です!

 

さて、こちらのお墓、武田勝頼の長女が開祖となっていまして、本堂手前に説明板とともに彼女のお墓があります。生前の名前は伝えられていません。ところで勝頼の他の娘ですが、次女は武田典厩信豊に嫁ぎます(当初は穴山梅雪に嫁ぐ予定だったのだそうですが、武田一族内部の権力闘争からだとも言われています、信豊のもとに嫁ぎます)、三女貞姫は武田家滅亡時、信玄娘で織田信忠の許嫁松姫(のちの信松尼)らとともに勝頼らと別行動をとり甲斐を脱出、東京都西部の八王子に逃れます。

韮崎市誌などによりますと、武田勝頼は天正九年(1581)韮崎の七里ヶ岩上に真田安房守昌幸などに命じ、新府城を築城。そして居館を甲府の躑躅ヶ崎からこちらに移します。しかしその引越しが終わると、長女が体調を崩し、そのまま亡くなってしまったんだとか。その長女の菩提をともらうためお寺を建立。それが恩昌寺なんだそうです。

 

武田四郎勝頼娘(武田姫)墓

法名は「紅映林葉大姉」。こちらのお寺にお邪魔したとき、お墓には一粒のさくらんぼがお供えされていたのが印象的でした。

 <2007/6/17>