甲斐武田を探検っ!!

       小幡豊後守屋敷跡

 

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史跡・関係地名:小幡豊後守屋敷跡(小幡屋敷・蓮華屋敷とも)/武藤屋敷跡

住所:山梨県笛吹市御坂町上黒駒

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×(公民館に?)

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:小幡昌盛・武藤政国など

笛吹市御坂町上黒駒の「小幡豊後守屋敷跡」のご案内。・・・といいますか探し出せてはいないので、雰囲気だけでも・・・。

 

 

<武田二十四将の一人>こちらの上黒駒(かみくろこま)地区に関わりのある人物といえば、小幡豊後守昌盛。彼の祖父日浄が遠江浪人として武田家に仕えてから小幡氏の活躍は始まっています。日浄の嫡子は山城守虎盛。武田信虎の代に飯田河原合戦などで信虎直属の足軽として大いに活躍、また信濃海津城で春日虎綱をよく補佐したことで有名です。その虎盛が第四次川中島合戦直前に死去。あとをついだのが昌盛。彼も足軽大将として数多くの活躍をしています。後世、武田二十四将の一人として称えられたりと、かなり有名な人物です。

昌盛は武田家によく仕えますが、天正十年の織田・徳川軍甲斐侵攻の際は重い病のため、所領のある上黒駒の地で療養していました。甲陽軍鑑によると情勢が不利になっていた武田勝頼は、新府城に火をかけ岩殿城に落ちようとする途中、甲斐善光寺山門前で、重い病のため歩くのも困難であった小幡昌盛から面会をうけます。その後昌盛は所領上黒駒に帰り、勝頼が自刃する5日前に亡くなったのだとか。

<御坂百話>「御坂百話/弦間耕一」という書籍によりますと、上黒駒の地には檜峯神社があり、そこの神主を武藤左衛門五郎政国という人物がつとめていました。武藤氏はこの地域の有力者で、勝頼と婚礼が決まり来甲した北条氏娘が一泊したと伝わりますし、武田氏滅亡後の天正壬午の乱では徳川氏に組し、徳川軍の案内役として黒駒合戦を勝利に導いています。

その武藤政国の娘が昌盛の妻であったのだと「御坂百話」は伝えています。さらに昌盛は病のため、この地に身を寄せ息を引き取りました。彼は武藤氏の屋敷内の墓所に葬られ、そしてその場所は小幡屋敷もしくは蓮華屋敷と呼ばれている・・・、と。しかし現在武藤氏はこの地におられないです。その屋敷跡には立派な石垣があるそうなのですが、よくわかりませんでした・・・

<御坂町歴史村絵図>笛吹市の御坂図書館で御坂町郷土研究会による「御坂町歴史村絵図」というものを手にすることができました(御坂百話も御坂図書館です)。創立30周年記念で発行されたものなのですが、それの上黒駒地区八反田に「小幡豊後屋敷跡」が記載されていたので、行って見ました。ただ、「絵図」だけあって、地図がアバウトでした・・・。八反田地区公民館の西方ということはわかったのですが、細かくは特定できず。引き続き追いかけていきます!

このような伝承などを追っていくのも、新たな発見があって楽しいですよね!「御坂百話」によると、他にもこの地に小幡昌盛もしくは小幡氏に関係する話が多く残されているようです。

周辺の甲斐武田氏関係地:御坂路旭山烽火台跡・黒駒合戦跡など

参考文献:甲陽軍艦・御坂百話・御坂町歴史村絵図など

<2008/5/24 2011/1/8リニューアル>