甲斐武田を探検っ!!

       堂坂砦

 

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史跡・関係地名:堂坂砦(堂坂の砦・堂ガ坂ノ砦・堂ヶ坂砦)

住所:山梨県韮崎市穴山町

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:徳川氏・武田氏など

 

<天正壬午の乱?それ以前?>七里岩上にあり、武田勝頼の新府城築城からの使用が考えられる能見城防塁の東端にあります。防塁とともに武田氏時代からの使用はハッキリしていません。ただし、「戦国武田の城」には、武田氏は砦横にある御崎神社に兵を置いていたとしています。それが正しければ、当然この場所も有効に使用されていたと思われますね。

さて武田家が滅亡し、織田信長も本能寺で死去した後、甲斐信濃などの旧武田領は徳川氏・北条氏・上杉氏の取り合いとなりますが、これを天正壬午の乱と呼んでいます。徳川軍は甲斐南方から甲斐に進出、北条軍は甲斐東方と上野・信濃経由で甲斐北東方面から進出し、若神子に陣を構えます。徳川軍は新府城に本陣を置くなどし対抗、堂坂砦と能見城防塁はその際、徳川方により築城されたと伝わっています。残念ながら堂坂砦の遺構は確認できませんでした。ただし、眺望は抜群で、右の写真の通り北条方の大豆生田砦はもちろん、若神子方面まで見渡すことができます。

北条軍と真正面に対峙するこの砦には、徳川軍主力が布陣したと伝わります。今日の砦跡からの眺望は、目と鼻の先の北条軍と対峙した緊張感を感じさせてくれます。

周辺の甲斐武田氏関係地:能見城防塁能見城跡新府城跡など

参考文献など:天正壬午の乱/平山優・新装版戦国武田の城/中田正光・甲斐国志など

<2012/1/30>