甲斐武田を探検っ!! |
|||||
法性甲山永岳寺 |
|||||
|
トップへはこちら→ |
ns027 |
史跡・関係地名:臨済宗妙心寺派法性甲山永岳寺 伝秋山虎繁(信友)墓 |
||||
住所:山梨県韮崎市大草町西条下割 |
場所のわかりやすさ:○ |
駐車場:○ |
説明板:△ |
売店:× |
地図: |
|
|||
関係人物:秋山伯耆守虎繁・秋山光朝など |
||||
<永岳寺の歴史>文永年間(1264-74)建立。甲府の東光寺開山でもある、中国の禅僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が建立(東光寺は文永五年/1268)しました。永岳寺は甲斐の中でも古刹で、その由緒などから武田家はもちろん後の徳川家も厚く保護しています。当時の寺領は恵林寺・法泉寺・聖応寺・向嶽寺に継ぐものであったのだとか。
境内には山梨県の天然記念物に指定された大カシの木があります。樹齢はいかほどなのでしょうか?多くの歴史を見守ってきたのでしょうね、確かに大きいです! |
||||
<秋山光朝>生年は不明ですが文治元年(1185)死去。父は甲斐源氏加賀美遠光、秋山の地に館を構えたことから「秋山」を名乗った秋山氏の祖。秋山虎繁(信友)はその子孫です。源平の争いなどで活躍した甲斐源氏でしたが、秋山光朝は平家滅亡後、頼朝警護の役職に就きます。しかし甲斐源氏の勢力拡大を恐れる頼朝に疎まれ、謀反の罪で鎌倉において処刑されます。その秋山光朝のものと言われる宝篋(ほうきょう)印塔(供養塔です)が残されています。その左横に建つ石碑に刻まれた「永岳寺殿一翁法性大居士」という法名は光朝のものでしょうか?
|
||||
<秋山虎繁(信友)の墓所は・・・>甲陽重家録によると秋山光朝のすぐ横に子孫の方が建てた「秋山信友」の墓がある、とのことでしたが。すぐ横というと下の写真の石祠とその裏の宝篋印塔がありました。申し訳ありません、確定はできませんでしたが、多分コレが怪しいのでしょうね・・・ その虎繁(信友とも言われますが、文書の中に虎繁と記された名前が発見されたことから虎繁が正しい名前となります)は二十四将にも数えられる人物です。大永七年(1527)生まれ、美濃岩村城攻めでの遠山氏夫人を正室に迎え入れ開城させたという逸話は有名です。しかし、新編武田信玄のすべてによると、これは誤りであると指摘されています。信玄の命で岩村城に入城したのではなく、勝頼の指示であったことがわかっています、つまりは時期が合わなくなっている、ということですね。その後は天正三年(1575)に岩村城開城、そして織田信長により長良川で逆さ磔にされて死去します。 |
||||
参考文献:甲陽重家録・新編 武田信玄のすべて/柴辻俊六 |
<2010/8/31> |