甲斐武田を探検っ!!

       鳳凰山願成寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗鳳凰山願成寺

住所:山梨県韮崎市神山町鍋山

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信義など

 

<由緒ある願成寺>韮崎市にある曹洞宗鳳凰山願成寺。かつてはこのあたりを武田庄といったそうです。周囲には武田八幡宮があり、看板も出ていますので行きやすいと思います。ちなみに上の写真ですが、願成寺駐車場にある大きな武田信義です。

宝亀二年(771)真言宗として開創と伝わる願成寺。甲斐武田の祖、武田信義(1128-1186)がこの周辺に館を構えていたこともあり、願成寺中興開基で彼の菩提寺になっています。天文二十一年(1552)に俊虎大和尚により改宗して臨済宗となりました。なお、俊虎は武田信虎もしくは信玄の甥にあたる人物とも言われています。

また、このあたりは信玄などの時代には武川衆の勢力化であったので、甘利庄に居を構えた武川衆の一員、曾雌対馬守定能が永禄二年(1559)二月に木造阿弥陀三尊を寄進しています。現在は韮崎市文化財として本堂に安置されています。

しかし、個人的に武田三代以外の知識はあまり持ち合わせていないので・・・と思い、行ってみたのですがナカナカどうして!!

山門横には武田家家臣招魂の碑が。まだまだ新しいモノなのですが、やはり甲斐武田氏祖の菩提寺ということでしょう。

<累代の供養>さすがに由緒あるお寺だけあり、広めの境内を歩いていくと左に建物が。近づいて案内板を見てみると「武田氏累代御霊殿」。すばらしいです。「累代」ですからね、そう思うと重みが全然違います。

 

こちらで案内されている累代法号は以下の通りです。

 

義光公

・・・・

先甲院殿峻徳尊了大居士

大治二年(1127)十月二十日 卒

義清公

・・・・

正覚院殿陽山清公大居士

久安元年(1145)七月二十三日 卒

清光公

・・・・

清光院殿玄源太公大居士

仁安三年(1168)六月八日 卒

始祖 信義公

・・・・

願成寺殿俊照国公大禅定門

文治二年(1186)三月九日 卒

二代 信光公

・・・・

重阿弥陀仏

宝治二年(1248)八月十九日 卒

三代 信政公

・・・・

眼阿弥陀仏

不明

四代 信時公

・・・・

与阿弥陀仏

不明

五代 時綱公

・・・・

聲阿弥陀仏

不明

六代 信宗公

・・・・

昭阿弥陀仏

不明

七代 信武公

・・・・

清浄心院殿雪山照公大禅定門

延文四年(1359)七月十三日 卒

八代 信成公

・・・・

継統院殿雪窓光公大禅定門

明徳五年(1394)六月十三日 卒

九代 信春公

・・・・

護国院殿花峰大居士

応永二十年(1413)十月二十三日 卒

十代 信満公

・・・・

棲雲院殿明庵光公大居士

応永二十四年(1417)二月六日 卒

十一代 信重公

・・・・

成就院殿功岳道成大居士

宝徳二年(1450)十一月二十四日 卒

十二代 信守公

・・・・

能成寺殿勇山健公大居士

享徳四年(1455)五月十一日 卒

十三代 信昌公

・・・・

永昌院殿傑山勝公大禅定門

永正二年(1505)九月十六日 卒

十四代 信縄公

・・・・

長興院殿孚山邦公大禅定門

永正四年(1507)二月十四日 卒

十五代 信虎公

・・・・

大泉寺殿泰雲公庵主

天正二年(1574)三月五日 卒

十六代 晴信公

・・・・

恵林寺殿機山玄公大居士

元亀四年(1573)四月十二日 卒

十七代 勝頼公

・・・・

法泉寺殿泰山安公大居士

天正十年(1582)三月十一日 卒

十八代 信勝公

・・・・

英材雄公大禅定門

天正十年(1582)三月十一日 卒

 

<武田信義墓>さて、御霊殿の右手には始祖武田信義墓所があります。鎌倉時代のものと伝わり、とても歴史的価値のあるものなのだとか。

武田信義は源頼朝と同じ時代を生きた人物。甲斐源氏を率いて頼朝とともに戦い、鎌倉幕府樹立に大いに貢献し、強大な武力も持つようになります。しかし、頼朝からはソレが疑いのもととなり、甲斐源氏の多くは粛清されていきます。息子らが殺されてゆく中、失意のうちに病死または自殺したと伝わります。

周辺の甲斐武田氏関係地:武田八幡宮大輪寺など

参考文献:甲斐源氏と武田氏・甲州・武田一族衰亡史/高野賢彦新編 武田信玄のすべて/柴辻俊六 など

<2010/1/31 2010/10/16リニューアル>