甲斐武田を探検っ!!

 

落合館跡

 

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武田信虎は、病弱であった父信縄(のぶつな)の死により14歳で家督を相続したと言われます。しかし相続翌年から、父の弟油川信恵との内乱が勃発します。信虎は後に内乱を治め甲斐を統一しますが、この内乱の原因といえるのが、信虎祖父武田信昌でした。

武田信昌は9歳で家督を継ぎ、守護代として大きな権力を振るっていた跡部氏を19歳で滅ぼします。そして晩年、信昌は長男であるが病弱な信縄でなく健康でウマのあう次男油川信恵を偏愛し、信恵に家督を譲ろうとします。しかし、頭のキレた信縄は信昌と信恵の動きを察知、父信昌を落合館に隠居されたと伝わります。これに怒った信恵は三男岩手縄美などと強力し、信縄の館(聖徳寺付近であるとも言われます)を強襲。内乱になります。しかしその混乱に乗じ、駿河の今川氏、さらには相模の伊勢氏(後の北条氏)が甲斐国内に乱入。この非常事態に武田一族は和睦、外敵に協力して立ち向かい、甲斐を守りました。

隠居したといっても政権の中枢に居座り、多くの文書などを発給し続けた信昌。彼は永正二年(1505)、父との難しい関係が続いていた信縄は同四年(1507)に相次いで死去します。結果、信虎が若くして家督相続しますが、この件が油川信恵の一旦は治まっていた家督相続という野望に火をつけてしまった重大な原因の一つなのでしょうね。

 

 

武田信昌が隠居したと伝わる場所は、山梨市落合のJA付近と伝わります。遺構は残されていませんが、区画に名残がある言われていますが、よくわかりません・・・

しかし、周辺地域には信昌・信縄・信虎に関わる史跡・伝承地が多く残っています。万力堤も近くにあります。なにか臭いませんか?(笑)

JA近くを通る国道140号雁坂道。そこには「武田信昌公廟 永昌院」の碑が建っています。

 <2009/2/12>