甲斐武田を探検っ!!

 

韮崎合戦大坪古戦場

 

史跡一覧へ

人物一覧へ

 トップへはこちら→

ns014

韮崎合戦大坪古戦場之碑

武田信虎VS甲斐国衆(今井氏・栗原氏・飯富氏など)と信濃諏訪氏連合軍の戦い。通常、河原辺合戦と呼ばれます。

信虎はこの一戦に勝利。諏訪氏は信濃に撤退。信虎の甲斐統一はまた一歩近づきます。

 

古戦場の碑は韮崎市、韮崎駅の近くにあります。今回のネタ元は韮崎市観光協会HPですが、案内されている地図が結構アバウトらしく、表示された場所に行っても・・・?、ということで写真に写っている風景からやっと探し出しました(笑)ちなみに周囲の駐車場は月極ばかり、どこに停めよっか・・・ご注意ください。

真ん中の写真は石碑の裏側ですが、こちらにも何かイロイロ刻まれていますよ。ただちょっと・・・という感じなのかな?どうも個人で建てられた感じで「よく考察もせずに・・・」と韮崎市誌はご立腹でした(笑)ただ、誤りなどはあるでしょうが、この辺で韮崎合戦あったんだ!ってわかる訳ですから。感謝ですね。

韮崎の合戦は前述の通り、武田信虎対国衆+諏訪氏連合軍です。享禄四年(1531)1/21、譜代家老衆の飯富兵部少輔虎昌、有力国衆で甲府盆地東部に拠点を置く栗原兵庫が甲府を退去し甲斐北部の御岳に籠もり信虎に叛旗を翻します(韮崎市誌によると今井信元は後日同調したようです)。さらに、盆地西部に拠点を置く大井氏も同調、そして今井氏と諏訪氏は姻戚関係であったことから諏訪氏に援軍を要請、諏訪当主頼満(碧雲斎)は了承します。こうして甲斐国内は大規模な戦乱となります。

同年2/2、今井・大井軍と対戦し、大井信業・今井備州が戦死するなどで、武田軍の勝利。さらに4/12には韮崎の河原辺にて武田軍と国衆・諏訪軍が戦い、栗原兵庫が討死するなどで連合軍は総崩れ、武田軍の勝利に終わります。信虎の軍勢には甘利備前守虎泰板垣駿河守信方・駒井政武(高白斎)・日向大和守是吉・原美濃守虎胤・小畠山城守虎盛らが顔を連ねていたのだとか。この戦いの後、諏訪軍は撤退し大井氏・飯富氏・栗原氏は信虎に従います。

そして諏訪氏の支持を受け、最後まで抵抗する今井信元ですが、翌年の天文元年(1532)9月に力つき、信虎に降服します。これにより甲斐統一が完了、信虎の目は甲斐国外に向き、出兵を重ねていくこととなります・・・

 <2007/6/7>