甲斐武田を探検っ!!

 

中津森館跡

 

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郡内小山田氏菩提寺桂林寺の南方、同じく小山田氏菩提寺である用津院とに挟まれた土地、L字型の堀跡らしき場所が残っています。こちらが中津森館跡。館跡の周囲には御屋敷・的場・馬場などの地名が残されているそうです。説明板などは、恐らくないのではないかと思います。

永正十七年(1520)栗原・大井・今井氏などの国人衆の反乱を治めた武田信虎、勝山記によると翌年の二月十八日に現富士河口湖町船津の小林宮内丞の屋敷を訪問、翌十九日信虎は小山田越中守信有の中津森館を訪問しています。一旦内乱が沈静化したので、国内に郡内の有力者との関係の良さをアピールしたかったんですかね?

ところが二月下旬以降、駿河の今川氏がたびたび甲斐に侵入。甲斐国内は再び乱れます。しかし十月飯田河原などで今川軍を撃退、そしてその喜びの中、十一月三日待望の嫡子が誕生します・・・個人的に年号などを憶えるのが苦手なもので、周辺の出来事も出して一体どういう時期のモノなのか示してみました。いかがでしょう?(笑)

中津森館は享禄三年(1530)火事で焼けてしまいます。その後、越中守信有は天文元年(1532)に館を谷村に移し、以後谷村が郡内領の中心となり、ここ中津森の役目は終わります。

写真ですが、一番上は桂林寺駐車場からの写真。中央の小高い小山の裏が用津院。自動車は桂林寺に停めさせていただきました。中央の写真は東側に小道らしきモノがあったのでそこに侵入。結局畑にいきついてしまいましたが、堀跡?が少し近くに見れたので・・・。一番下は用津院です。用津院裏に木々が茂っていますが、この裏が中津森館跡。更にその北が桂林寺となります。

 <2008/11/26>