甲斐武田を探検っ!!

 

内藤塚

 

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群馬県高崎市箕郷町には日本100名城として有名な箕輪城跡があります。上州箕輪城といえば、内藤昌秀が城代となり西上野に睨みをきかせた城。その内藤昌秀は、武田軍の中で副将と称され、北条・上杉・武田の入り乱れる当時の上野攻略を任されました。さて、箕輪城はその後も井伊直政などにも改築されますが、その近くには善龍寺というお寺があります。こちらのお寺は古くからあったそうですが、武田の箕輪城攻略の際焼失。のちに信玄は昌秀に善龍寺再建の指示を出しています。

 

天正三年(1575)内藤昌秀は設楽原(長篠の戦い)にて壮絶な討死をしますが、子の昌月はこの地に父を葬ったのだとか。その昌月も武田家滅亡後の天正十六年に死去、父と同じ地に葬られた、といわれています。

左の写真の中央は内藤塚。奥には善龍寺が見えています。右側の写真は斜めからみた内藤塚(右手前)と善龍寺本堂(左)になります。

 

内藤塚

内藤昌秀とその子昌月(まさあき)が眠ります。昌月は保科正俊の子。昌秀の養子となり内藤家を継ぎます。昌月の墓所保科家の本拠である高遠にもあります。

内藤昌秀法名「善龍院殿泰山常安大居士」。

内藤昌月法名「陽光院殿南華宗栄大居士」。

 <2009/2/1>