甲斐武田を探検っ!!

 

長坂氏屋敷跡

 

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長坂氏屋敷跡、長閑屋敷跡などと呼ばれてるそうです。龍岸寺のそばにあります。多分西方向からしか近づけないんじゃないでしょうか?ただ、普通に行こうとするならば必然的に西からになりますので安心してください。左上の写真がその遠景、右はもう少し近づいたところです。

「長閑」といえば、長坂釣閑斎ですよね。長坂虎房ともいい、はじめは板垣信方配下で働いています。その板垣が戦死し、程なく天文十七年(1548)諏訪郡代に任命されます。そのときまだ幼かった勝頼の面倒をよく見て、勝頼と太いつながりができたのだとか。ただ、義信事件(武田信玄の長子、義信が信玄に対し謀反を企てたとされる事件)の際、長坂釣閑斎の子息、源五郎が義信に加担したとして永禄八年(1565)処刑されます。釣閑斎になんらかの影響があったのでしょうか?その後、大きく重用されるようになるのは、天正元年(1573)信玄が死んで勝頼の時代になってからです。釣閑斎は勝頼の側近として、大きな発言力を持つようになり、武功派といわれる内藤修理亮昌秀と、そしてさらには春日弾正虎綱とも激しい言い争いをしています。そのような流れから、甲陽軍鑑にある痛烈な釣閑斎批判となるわけでしょうね。この家臣団の分裂も影響してか、天正十年(1582)武田氏は滅亡します。そのとき釣閑斎は一条信竜の屋敷で織田方に捕まり、殺されたとも言われています。

 

 

こちらには説明板もしっかりありました。左の写真はその説明板の場所から屋敷跡に向うであろう道を撮ったものです。説明によると遺構も残ってるようだし。じゃぁ行こうかっ!!って思ったのですが、ものすごい草・・・・簡単にくじけました(笑)秋・冬くらいの雑草がないときに行ったほうがいいんだろうなぁ・・・と思います。

<2006/8/19>