甲斐武田を探検っ!!

 

妙善寺 安部加賀守宗貞墓所

 

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甲斐市宇津谷にある妙善寺。国道20号近くにあるので、比較的行きやすいと思いますよっ!駐車場もかなり広めのがありますので(幼稚園が併設されているので、時間帯によっては混雑しているかも・・・)。

一番上の写真を見ると右側に白い四角。これは、安部加賀守宗貞(安倍勝宝・貞村とも)墓所の説明です。説明板の近くにお墓があるのかな?なんて思っていたのですが、まるで違いましたね。本堂向かって右手奥に墓所はありました。ただ、明らかにお墓の場所まで行くのがつらいなぁ・・・。住職さんの家なのだと思いますが、その真ん前を横切るか、本堂左から回りこむと、ちょっとした扉を開け、恐らく由緒正しいであろう庭園を横切るかたちとなります。きっと住職さんに了解をとれば何の問題もないのでしょうけど。

さて安部加賀守宗貞ですが、永禄五年(1562)高遠城に入った武田勝頼付侍大将八人衆の一人として名を残しています(他は秋山紀伊守・跡部右衛門尉昌忠・小田切孫右衛門尉・小原下総守・小原丹後守継忠・竹内与五左衛門・向山出雲守)。勝頼の信頼も厚く、「勝宝」という名は勝頼から一文字賜ったものなのだとか。その後も勝頼をしっかり助け、天正七年(1579)には春日信達に代わり、海津城代・川中島四郡の支配も担当します。

武田氏滅亡時には、勝頼に従い田野にて殉死、享年53歳。その後、宗貞の家臣が首級を密かにこちらのお寺に埋葬して供養したのだそうです。言い忘れましたがこちらのお寺、阿部一族の菩提寺になっています。

 

阿部加賀守宗貞墓

法名は「妙善寺殿香山道義大禅定門」。むかって左のお墓は宗貞長男掃部介貞直、右(木で隠れてしまいました・・・)は次男右衛門尉道忠と伝えられています。二人の子供は高遠城にて仁科盛信とともに討死しています。

 <2007/6/23>