甲斐武田を探検っ!!

       仏寿山妙遠寺

 

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史跡・関係地名:日蓮宗仏寿山妙遠寺(みょうおんじ)/小宰相墓所

住所:山梨県甲府市元紺屋町

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:小畠虎盛・小幡昌盛・小宰相・大熊朝秀・大熊長秀など

 

<妙遠寺開基の不思議>妙遠寺(みょうおんじ)、かつては妙音寺であったのだとか。寺伝によると、建立は文明年間(1469-1487)で開基は飯富源四郎(法名は妙遠寺殿日昌居士)、開山は不明です。墓地には、開基妙遠寺殿日昌庵生居士の墓所がありますが、側面を何気なくみると開基の説明が刻まれています。その説明は「飯富兵部の弟」だとか、「山県三郎兵衛尉」に改名したとか。完全に開基は「山県昌景」のことだとされていますが、昌景は長篠(天正三年/1575年)で討死していますので、明らかに年代があいません。伝わる法名も異なっています。確かに昌景が若い頃は飯富源四郎と呼ばれていますが、どこかで勘違い混合されてしまっているのでしょうか?

 

 

<中興開基「小宰相」>寺伝で妙遠寺中興開基は小畠(寺伝では小幡)山城守虎盛の妹「小宰相」と伝わります。彼女は武田家館の女房衆を取り仕切る役目の人物でした。その後、越後から離反した大熊朝秀の上州攻めなどの軍功に対し信玄の口利きにより、正室となります。これにより大熊氏は譜代家臣なみの待遇になったといわれます。法名は本証院妙嘉。ちなみに中興開山は本妙院日優となっています。

先ほど紹介した開基飯富源四郎墓所の裏に小宰相の墓所がありました。だいぶ雑草に囲まれて見つけにくくなっています。しかし、いいもの見つけてしまいましたね。石祠は飯富源四郎のモノです。祠の向かって左に小宰相の墓石。小宰相と飯富両氏の間には石柱が建っており、「向左 小宰相殿」「向右 妙遠寺伝」と刻まれています。

 

  

ちなみに足軽大将衆の小幡(小畠虎盛・小幡昌盛など)氏、越後から甲斐に来た大熊氏の菩提寺と伝わりますが、両者の墓所は自分の目で確認できていません。小宰相の関係からその話が出てきたのでしょうか?

<朝秀?長秀?・妹?娘?>小宰相は小畠日浄(盛次とも)の娘、つまりは山城守虎盛の妹であると伝わっています(生没年不明)。小畠日浄は永正十五年(1518)に討死していますから、小宰相は少なくともその一年後までには誕生してことになります。大熊備前守朝秀が越後を離反し、武田氏に仕えるのは弘治二年(1556)です。朝秀と小宰相の縁組が決まったのは少なくとも同年のはず。ということになると、小宰相は結婚時少なく見積もって38歳前後になってしまいます。

しかし、虎盛の嫡子昌盛は天文三年(1534)生まれ。大熊氏が甲斐に来たのは弘治二年ですから、そのとき昌盛は23歳。永禄十年(1567)には朝秀の嫡子新左衛門尉長秀が生島足島神社に起請文を納めているのが確認できます(父朝秀は確認できず)。そのようなことを考えると、小宰相は虎盛の娘(昌盛妹)として考えたほうがすんなりいくのですが。結婚相手は大熊新左衛門尉長秀でしょうか・・・。甲斐に来る以前の大熊氏の動向がわかる越後側の史料もいずれ確認していきたいですね。

周辺の甲斐武田氏関係地:大泉寺愛宕神社など

参考文献:新編 武田信玄のすべて/柴辻俊六武田氏年表―信虎・信玄・勝頼/武田氏研究会・甲斐国社記寺記・新編武田二十四将正伝など

<2006/10/18 2010/11/7リニューアル>