甲斐武田を探検っ!!

       峯の城

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

mk026

史跡・関係地名:峯の城(みねのじょう)・波木井堂・千人塚

住所:山梨県南巨摩郡南部町本郷

場所のわかりやすさ:×

駐車場:×

説明板:△

売店:×

地図:

関係人物:波木井義実・波木井実長など

<峯の城>南部町と身延町の境に近い本郷地区にある船山川左岸、丘の上の峯の城。城跡西側の茶畑横をすり抜けると城域に入り歩道左右に平坦部が広がりますが、その平坦部以外に遺構らしいものは見当たりません。

 

また甲斐国志にはこの城について何も記されていません。しかし地域には古くから波木井氏(波木井南部氏)はこの地で武田信虎により滅ぼされたという言い伝えが残ります。

 

<波木井堂>城域のなかの小道を進むと左手に建物が現れます。

 

建物には「波木井堂」とあり、建物前には峯之城跡の小さめの石碑があります。このあたりは先ほどの平坦部に比べると若干低地になりますが、このあたりは何か遺構ある(あった?)のでしょうか。波木井堂を建てる際に造成されていると思いますのでなんともいえません。

  

波木井堂の裏にまわると石碑が二つ。大きい方は「波木井六郎実長」、小さい方は「十一代波木井三河守義実」。波木井氏子孫という市川氏が建てられたんだとか。波木井実長は鎌倉時代の人物です。甲斐源氏南部氏祖南部光行の三男。日蓮を身延山に招き保護した人物として名が知られています。波木井義実は信虎と同時代の人物。大永年間度々今川家が甲斐に侵攻しますが、穴山武田氏と敵対関係であったと思われる波木井南部氏は今川氏と手を結びもしくは軍門にくだり、武田氏に対抗したと考えられています。しかしながら、信虎に敗れ波木井氏は滅亡しています。

<千人塚>

 

波木井堂前の小道をそのまましばらく進むと供養塔が現れます(供養塔は倒れていましたが・・・)。ここは千人塚と呼ばれ、武田信虎に攻められ討死した戦死者を供養するために建てられた塚と伝わっています。

 

波木井南部氏が滅びた場所は、身延の波木井城ではなく、ここ峯の城では?いう説があります。甲斐国志では「波木井の峯の城」を「波木井地区の峯の城」としていますが、「穴山武田氏」「図説山城探訪」などで指摘しているのは「波木井氏の峯の城」。地名か人名かということですね。

地理的に見て穴山武田氏の勢力下であった下山に近い(近すぎる)波木井城を拠点とした反武田勢力はあまり考えられず、駿河国境の南部地方は当時今川軍の甲斐侵攻の拠点と考えることができること。また、駿河に近い峯の城には上記のような波木井氏に関する伝承が残されているが、波木井城には残されていない。波木井城は波木井実長のもの(甲斐国志)とも言われます。さて、真実は?徐々に峯の城が明らかになり、更に謎が生まれてきています。

周辺の甲斐武田氏関係地:建忠寺跡円蔵院など

参考文献:図説山城探訪16集/宮坂武男・穴山武田氏/平山優・甲斐国志他

<2012/5/22>