甲斐武田を探検っ!!

       古屋弥次右衛門建立宝篋印塔

 

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史跡・関係地名:古屋弥次右衛門建立宝篋印塔

住所:山梨県南巨摩郡身延町飯富

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:△

売店:×

地図:

 

関係人物:飯富兵部・古屋昌時など

<飯富兵部の忘れ形見>身延町飯富の日蓮宗久遠山永久寺。隣には飯富八幡神社が鎮座しており、飯富八幡を目印にするとわかりやすいかもしれません。そのお寺の裏の山麓に古屋氏墓所がありますが、この古屋氏なんと飯富兵部の遺児が名乗ったと伝わる家系。

 

永久寺本堂左脇を抜けると上の写真右の場所に出ます。その写真中央右辺りに古屋氏の墓所があります。

 

<古屋氏と飯富兵部>飯富兵部少輔(虎昌)は信虎・信玄初期を支えた重臣で、有名な赤備えの創始者とも言われる猛者。そのような飯富兵部は晴信嫡子、太郎義信の傅役(もりやく)となりますが、義信と信玄の関係は悪化。謀反未遂という事件にまで発展します。飯富兵部は責任を取り、自刃したことは有名な話。

甲斐国志によると、そのような彼にも坊麻呂という四歳の遺児がいました。彼は縁を頼りに京都の三条家に匿われ、天正六年十七才の際、古屋弥右衛門昌時と名乗り甲斐に戻ってきます。昌時の子吉左衛門昌安、昌安の子市之丞昌尹、昌尹の子が弥次右衛門昌光となりますが、代々商いを営んだといいます。

  

一番右に宝篋印塔がありますが、身延町の文化財に指定されています。説明板によると「古屋弥次右衛門の宝篋印塔」とありますが、弥次右衛門本人のものではなく、弥次右衛門昌光が建立したという意味なのだそうです。そんなことから、祖先である飯富兵部の供養塔であるとも伝わっています。

周辺の甲斐武田氏関係地:大聖寺本国寺南松院など

参考文献など:甲斐国志など

<2012/1/23>