甲斐武田を探検っ!!

       穴山信懸墓所

 

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史跡・関係地名:穴山信懸墓所・建忠寺跡

住所:山梨県南巨摩郡南部町本郷

場所のわかりやすさ:×

駐車場:△(一台程度説明板前に・・・)

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:穴山信懸など

<穴山信懸>明治八年(1875)に廃寺となっている臨済宗南松院末大福山建忠寺。こちらの建忠寺は穴山信君曽祖父であり、穴山四代兵部少輔信懸(のぶとお)の開基・菩提寺としています。彼は穴山信介の子ですが、兄乙若丸が早世したため穴山氏を継承したようです。「穴山武田氏」によると、延徳四年(1492)武田信昌と信縄が争い甲斐が内戦状態となっていた際、当時の当主であった信懸もこの争いに加わって市川にて合戦を行っています。彼の人物像についても「穴山武田氏」で述べられています。一部を紹介すると、彼は文武両道であり、伊勢早雲(北条早雲)と非常に懇意にしており、甲斐国主武田信縄の伯父にあたる人物であったのだか。信懸の祐筆の評価なのですが、「できた」人物であったようです。

なお、高野山成慶院過去帳によると、信懸は永正十年(1512)五月二十七日死去、息子の清五郎に暗殺されたと伝わります。清五郎については史料が残されてなく詳細不明ですが、信懸の次代は系図的にも混乱がみられ、さらに史料があまり残されていないことから「穴山家」内部で争乱・混乱?があったのではなかろうか、と「穴山武田氏」は指摘しています。

 

穴山信懸の墓所は建忠寺跡の説明板を左に歩くとすぐ。山腹にあります。自動車はこの説明板前に停めました・・・

  

歴代住職の墓所の右横に石塔(宝きょう印塔)がありました。2基ありますが、一段高い場所にある石塔が穴山信懸のお墓。よく見ると側面に「建忠」の文字(写真参照)、左側面には「寺」右側面には「殿」と記されています。信懸法名は「建忠寺殿中翁道義大禅定門」。上記の通り廃寺となり荒れていましたが、墓所は昭和に入り整備され現在に至っています。

  

<大福山健忠寺屋敷跡>山を少し下ると茶畑。その一角に「大福山建忠寺屋敷跡」の表示が。かつてはこちらに屋敷が建っていた・・・ということなのでしょうね。

穴山氏についてですが、まだまだわかっていないことが盛りだくさんなのです。武田・今川・北条さらには南部氏との間で微妙な関係をつくり、生き抜いた穴山氏。少しずつですが、新たな史料も出されたり研究も進んでいます。今後が楽しみです!

周辺の甲斐武田氏関係地:円蔵院松岳院など

参考文献など:武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会・武田穴山氏/平山優・甲斐国志など

<2011/7/27>