甲斐武田を探検っ!!

       大梅山常安寺

 

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史跡・関係地名:臨済宗妙心寺大梅山常安寺/穴山伊予守基信墓所

住所:山梨県南巨摩郡南部町内船

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:穴山基信など

山梨県の南部町は、静岡県との県境の町になります。甲駿国境ということで、古くから重要な場所でした。その場所を領していたのが南部氏。南部氏が東北に去ると、穴山氏がこの地を侵食していきます。常安寺はその南部町内船地区内にあります。なお、お寺に行くまでの道が少し細いのでわかりづらいかもしれません。気をつけてください。

<謎ばかりの弟>寺記では、穴山信懸(のぶとお)次男の穴山伊予守基信が再興したと伝える常安寺。信懸長男は穴山甲斐守信風(信綱とも)と伝わっています。伊予守基信は刑部大輔・伊予守を称し、はじめは信尭(のぶたか)といい、後に基信と名乗ったといいます。しかしながら、事績などは全く伝わっておらず、系図に残るのみ。ちなみに甲斐守信風は、穴山信君(梅雪)の祖父です。

 

 

 

<穴山氏で何が?>伊予守基信の墓所は、常安寺歴代住職墓所の横にあります。伊予守基信の法名は「常安寺殿実山仁公大居士」で、上の写真右側の五輪塔が伊予守基信のモノと伝わっています。寺記によると、伊予守基信は享禄四年(1531)十二月十六日に死去。「穴山武田氏」では、兄の甲斐守信風も同年三月十二日に死去しており、「穴山家内部のなにかしらの事件」の可能性を提起しています。今のところ、基信とともに甲斐守信風もほとんど史料など残っておらず、享禄四年頃の穴山氏の状況は謎に包まれています。

享禄四年の甲斐国内はというと、一月に飯富氏・栗原氏らが甲斐府中を退去し武田信虎に叛旗を翻しています。その内乱には逸見の今井信元、さらには信濃諏訪の諏訪頼満も介入するなどし、甲斐国内は大変荒れた状態となっています。穴山氏を含め、甲斐国人衆はどう考え、どう動いていったのでしょうか?

周辺の甲斐武田氏関係地:内船寺・円蔵院最恩寺など

参考文献:武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会・穴山武田氏/平山優など

<2011/5/6>