甲斐武田を探検っ!!

 

美和神社

 

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甲斐国二之宮美和神社です。場所は、平成の市町村合併で一之宮浅間神社と同じ「笛吹市」となっています。ちなみに三之宮は甲府市の玉諸神社です。

美和神社は旧?国道137号を少し入っていくんですが、結構目立つ案内板建ってますので大丈夫。その旧国道から入っていき、道なりにすすんでいきますと並木道があり、美和神社の鳥居に突き当たります。

 

話は変わるんですが、どうも笛吹市というのは一時期甲斐の政治・経済ともに中心地だったらしくて。ちょっとした説明会みたいなものに参加する機会がありまして知ったのですが。

春日居町の国府という地名、甲斐で最も古いといわれている寺「寺本廃寺」、御坂の国衙という地名、もちろん経済の中心石和町、武田信重屋敷跡などなど・・・ちょっと、ビックリな話でした、小さい頃そんなことはまるっきり教わりませんでしたから。

 

左の写真は境内から鳥居方向を見た感じ。神社自体が東向き、さらにその東方には御坂山地があるので、鳥居より境内のほうが低い土地になっています。通常、神社は周りの土地より高くつくったりするみたいなんですが、美和神社の低地は謎だそうです(このあたり水の出がよくないので、水を引くためにそうした・・・なんて説もあり)。右の写真は「立石」と言われ、鳥居の形状とともにこの地域に多い特色だそうです。 

すっかり「武田」から挫折した話をしてしまいました。

この神社、由緒あるということで武田氏から保護を受け、さらに祈願所ともされていたそうです。武田信玄・義信親子が永禄六年に奉納したもの(板絵着色三十六歌仙図)さらには、武田信玄の元服鎧とも言われる当世具足が奉納されていたり、武田義信寄進の鞍あったり・・・。武田義信ゆかりのもの奉納されているんですよね、その義信の足跡みたいなのが確認できるのはめずらしいそうです(信玄への謀反の疑いありですからイロイロ歴史から消されている?)。以前、たまたまこれらをガラス越しなどではなく、直接見る機会があったんですが、感動!山梨県人でよかったぁって感じです。

 

 

 

タマタマ4月の例大祭に行ったんで、オマケで写真をどうぞ。上の写真は準備中の写真です。下の写真は県指定無形民俗文化財「美和神社の太々神楽」です。不勉強でまるでわからないのですが、「出雲流神楽」だそうです。起源は元禄年間(1688-1704)なんだとか。

 

  

<2006/10/2>

美和神社には前述の通り、数多くの御宝物があります。

 (1)木造大物主神立像(重要文化財)

 

美和神社の御神体です。平安時代の作だといわれています。

 (2)板絵着色三十六歌仙図(県指定文化財)

 

武田晴信・義信親子が永禄六年(1563)に、武運長久・子孫繁栄を祈願し奉納したものです。

 (3)白糸威褄取鎧(しらいとおどしつまどりよろい)-残欠-(県指定文化財)

 

八幡太郎義家奉納と伝わります。南北朝時代の製作。

 (4)朱札紅糸素縣威胴丸凧楯付(しゅざねくれないいとすがけおどしどうまるはいだてつき)一領(県指定文化財)

 

武田信玄の元服鎧と伝わる甲冑で、室町時代末期の製作。

 (5)勅額 正一位美和大明神

 

弘安四年(1281)、御宇多天皇御下賜。

 (6)御宸筆 国主正一位薫壱美和大明神

 

応永年間(1394-1427)、後小松天皇下賜。

 (7)甲州二之宮造立帳 (人物名は御坂町誌による)

 

永禄八年(1865)、武田義信寄進。次席に松尾源十郎信是。さらに下条弥四郎信俊・信盛・信康・友光・家長・信秀、

 

加津野孫四郎昌世、跡部藤五郎昌忠、長坂清四郎勝繁、曾根九郎左衛門尉虎盛、鮎川又四郎勝繁、漆戸主水祐虎光、

 

市川善次昌房、跡部藤次郎昌秀、楠浦若狭守虎常、跡部又二郎昌長という義信家臣もともに記されています。

 (8)武田義信寄進の鞍

 

武田義信生前に寄進。

 (9)制札 境内取締の定書

 

天正七年(1579)、武田勝頼掲示。

 (10)二之宮祭礼帳

 

天正年間(1573-1592)祭礼の記録。

 (11)銚子と盃

 

徳川家康奉納。

 (12)蛇笏奉納扁額 乾神

 

昭和十六年(1941)春。

 

  

 すばらしいですよねー。これだけのものを直に見れた自分は幸せ者でした。個人的には人名が記されている、(7)がかなり気になりました!義信家臣は、信虎・信玄などが家柄などでなく能力で取り立てたりしているため、それに乗り遅れた?かつて力を持っていた豪族出身者が多いのだとか・・・

<2008/6/17 追加>