甲斐武田を探検っ!!

 

御名方神社

 

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韮崎市穴山町にある御名方(みなかた)神社。黒駒神社とも言われています。周囲は木々が茂る、とても心地よい場所です。

 

 

こちらの神社、神社の由緒となった「馬蹄石」があったり、拝殿の横には韮崎市指定文化財の「黒駒のアカマツ」があったりと、それも楽しめます。しかし!御名方神社といえば「新府城北側の防塁」。武田家好きにはこれですよね、やはり。

 

上の写真が防塁跡といわれる場所。かなり大規模な土塁跡が、神社に向かって右手から裏側にみることができます。甲斐国志によると、能見城周辺にちょうど七里ヶ岩という台地を南北に遮断するように土塁跡が見られるとか。「諸国古城之図甲斐 新府」(広島市立図書館所蔵)をはじめ、新府城を描いた古図には必ずと言っていいほど、防塁跡が描かれています。

・・・ところが、これらの防塁跡は確実に武田勝頼が築いたんだとは言い切れていません。「造った」という資料がありませんし、武田家が滅亡し織田信長が本能寺で倒れた後、旧武田領をめぐる争いが徳川家と北条家の間でおこり、徳川軍が新府城に駐留し北条軍と対峙しています。その際に造成された・・・ということも全然ありえるんだと。

しかしですね、新府城が歴史の表舞台に立ったのは、天正壬午の乱を含めても1年程度。そのごく短い期間にしか使用されなかったものが、このように残されているのはカナリ感動モノです!

ちなみに周辺に駐車場はなかったような・・・案内板なども見当たりません、あるのは「馬蹄石」「アカマツ」の案内・・・。まぁでも、まだまだ解明されなければいけない新府城。その謎の一つに触れられるんですからっ!

 <2008/7/10>