甲斐武田を探検っ!!

 

武田勝頼夫人遺愛の松

 

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今回は史進さんのホームページ「城逢人」をかなり参考にして探検してまいりました。「城逢人」は城郭や館跡などを親切に紹介しているHPで、管理人である史進さんも楽しい方なので、いつも拝見させていただきイロイロ勉強しています。史進さん、ありがとうございます!!

笛吹市石和町にある黒松です。観光ホテル正面にドーンとあります(笑)。

勝頼ははじめ織田信長養女を正室に迎えていましたが、嫡子信勝を出産した後死去。武田・織田両家はのちの関係悪化を避けるため、信長嫡子信忠と信玄五女松姫を婚約させますが、結局は三方原などでの両家の関係悪化により自然解消。その後をうけ、武田・北条の同盟強化のための結婚です。

天正五年(1577)北条氏康六女(氏政妹)は、武田勝頼に輿入れします。通常、北条夫人もしくは勝頼夫人(こちらだと織田氏と混合しやすい〜)と呼ばれていますよね。彼女は輿入れの際、御坂路を通って甲斐に入ります。河口から御坂峠を越え、甲府盆地に入り、黒駒の地で神主をつとめている某宅に宿泊。翌朝、記念に松を植樹したそうです。この松、昭和30年代までは実存していましたが、枯れてしまったのだとか。

で、こちらの松。どうなんですかね。上記の松とつながりがあるのか、それともまた別口のものなのか・・・。うむむ、勉強しなきゃ!

北条夫人は、結構様々な伝承を残しています。武田八幡宮の願文などが後世の多くの人達の心を打つんでしょうね!

その後、武田家は上杉家と同盟を結び、北条家とは同盟破綻します。その中夫人は勝頼のもとを離れず、天正十年(1582)3月、織田・徳川軍の侵攻を受け田野の地で勝頼と先妻の子信勝とともに生涯を閉じます。勝頼37歳、夫人20歳、信勝16歳でした。

山梨県内、武田家に関する結構怪しげな伝承などもかなりあります。しかし、このHPではそういうものも紹介していきます。様々な伝承の中に「武田」が生きていますので。それだけ山梨県人にとって「武田」がどれだけ影響力があるかという証でもありますし。「ナゼそういう伝承が生まれたか?」なんて考えることができたら、もっと楽しいですもんね!

 <2007/6/21>