甲斐武田を探検っ!!

       三枝土佐守屋敷

 

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史跡・関係地名:三枝土佐守屋敷

住所:山梨県北杜市須玉町東向

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:三枝昌吉など

<武田遺臣>三枝土佐守昌吉は、武田信玄・勝頼の下で足軽大将をつとめた三枝土佐守虎吉の子。虎吉長男は勘解由左衛門昌貞(守友)山県昌景に認められ養子にもなった人物です。二男は守義で、天正三年(1575)長篠・設楽ヶ原の戦いで兄昌貞とともに討死。そして、三男が昌吉となります。昌貞死後、三枝氏の家督は昌貞の子守吉が継ぐはずですが、守吉はまだ幼少であるため昌吉が家督を継いでいます。その昌吉は武田氏滅亡後、徳川氏に出仕。大阪の陣では旗奉行でした。のちに子の伊豆守守昌とともに徳川忠長付となります。

 

 

<今日の屋敷跡は・・・>屋敷跡がある場所ですが、八幡神社が目印。八幡神社の北側とされていますが、幹線道路から少し奥まった場所なのと、到着までの道幅が若干細めなので気をつけてください。

屋敷南端に位置する八幡神社裏(北側)には土塁跡と伝わる場所を見ることができます。須玉町史によると、こちらのほかにも「信光寺に広がる水田の北側を東西に走る土塁」があるようなのですが、確認できませんでした。なお、屋敷規模は東西100m、南北140mあまりと考えられています。

 

現在、屋敷跡と伝わる場所には耕地が広がっています。

三枝氏の本拠は甲府盆地南部でしたが、武田氏滅亡後、昌吉は真田攻めなどにも従軍し徳川氏の信頼を勝ち取り慶長十九年(1614)屋代秀正(勝永)真田信昌(信尹)とともに、この周辺地域一万五千石を三氏で分配し領するように命ぜられます。三枝氏はのちに安房に転封となりますが、この地には三枝氏に関する史跡などが多く残されています。

周辺の甲斐武田氏関係地:信光寺・三枝昌吉墓所など

参考文献など:甲斐国志・須玉町史など

<2008/6/19 2012/1/16リニューアル>