甲斐武田を探検っ!!

 

万沢口留番所跡

 

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南巨摩郡南部町万沢(まんざわ)は、甲斐府中と駿河江尻を結ぶ河内路の宿場でした。その万沢宿の南端に口留番所跡があります。特に遺構などはなく碑と説明板が建つのみです。この道を 4kmほど行くと駿河(現静岡県)になります。

 

 

天文二十一年(1552)今川義元娘(生年と実名不明、法名は嶺松院殿と伝わります)は江尻・興津・由比・内房・万沢・南部・下山・岩間を通り甲斐府中に入り、武田義信の妻となります。いわゆる甲相駿三国同盟の一環ですよね。

しかし夫義信は父信玄との不和により東光寺に幽閉され永禄十年(1567)十月に死去。同十一月嶺松院殿は兄今川氏真のいる駿河に帰され、出家。その後今川家・武田家の滅亡などがありますが生き続け、慶長十七年(1612)波乱の人生を閉じます。法名は嶺松院殿栄誉貞春大姉。墓所はわかっていません。

なお、天正十年(1582)三月武田攻めに際し徳川軍は河内路を北上し甲斐に侵攻。八日に徳川秀忠が、九日には家康が万沢宿で宿泊しています。

甲斐・駿河にとってとても重要な場所、万沢でした。専用駐車場などはありません、ご注意ください。

 <2009/4/9>