甲斐武田を探検っ!!

 

満福寺 穴山氏墓所

 

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河内地方(身延町などを中心とした山梨県の南部)の領主として知られる穴山氏ですが、「穴山」という姓の元はここの地名です。武田信武の五男義武がこの地に所領を得て入部、そして後年河内地方に移ったということです。

こちらのお寺、文亀二年(1502)穴山信懸(のぶとお/信君の曽祖父)が曹洞宗に改宗し再興したそうです。また、のちの穴山信君(梅雪)が中興開祖とされていますが、これは彼が満福寺の保護につとめたからなんだとか。

穴山氏は、義武-満春(武田信満弟)-信介(武田信重二男)-信懸-信綱-信友-信君-勝千代(信治)というふうに続いたようです。信友・信君は武田家から正室をむかえており、満春・信介も武田家のもの。武田家と重いつながりがあります。

また満春は笛吹市にある小山城に居城。そして信懸の代に河内の南部に移り、少なくとも信友の代から河内の下山に居を移しています。

 

満福寺は国道141号(佐久往還)の少し脇にあります。甲府(韮崎)方面からですと清里に行く途中にちょっと寄れる感じです。・・・住所が穴山町なんで、てっきりJR中央本線穴山駅のあたりにあるのかと思っていました(汗)。ところで敷地内・道端に左のような案内板建っていますので、国道141号から左に曲がる道を間違わなければ問題ないはずです(ここちも看板?あるんですが無残な状況になってます)。

韮崎市穴山町ですが、武田勝頼の新府城築城後は城下町だったらしく、様々な武将の屋敷跡と言われる場所が残されています。

 

穴山氏墓

寺記で「穴山信君の墓」と伝わっているそうですが、状況的にみて、穴山義武・満春とみたほうがよいそうです。

 <2006/2/15>