甲斐武田を探検っ!!

 

万休院

 

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北杜市武川町にある万休院(ばんきゅういん)、国指定記念物「舞鶴の松」があることで有名です。国道20号線にも案内板が出ており容易にお寺まで行き着くとこができます。

その松ですが境内にありキチンと整備された庭とともに訪れた人たちを迎えてくれます。・・・ただ、一緒に行った知人の話によると最近になってかなり痛んできているんだとか。木の専門家ではないので詳しいことはわかりませんけど、確かに枯れかかっているような・・・左の写真でも茶色くなってるところわかるかも。ちょっと悲しくなったんで正面から松の写真を撮ることやめてしまいました・・・

この松は樹齢450年ほどだそうです。今2007年ですから2007-450=1557。ちょうど戦国時代から生きてる松ですねぇ、また見方が変わります。

 

ここ万休院、馬場民部少輔の開祖だと伝わります。馬場民部少輔は武田二十四将さらには武田の四名臣にも数えられる「馬場美濃守信春」嫡子です。信春は天正三年(1575)4月長篠合戦で勝頼を無事退却させるため殿を務め討死、その様は敵の織田・徳川方からも賞賛されたんだとか。

信春亡き後、民部少輔(昌房とも言われていますが)が勝頼の命により父の後を継ぎます。しかし、父ほどの権限(外交などですね)は与えられなかったようです。民部少輔だけでなく信玄期には一門・譜代の中の数人が各方面の外交を分担していましたが、勝頼期、特に長篠の後はごく限られた人物(武田信豊・跡部勝資など)が担当していたようです。その後天正十年(1582)には深志城に入りますが、開城。その後の消息は不明なんだとか。牧之島城で討死したとも言われています。

 <2007/4/19>

9/13(木)付の山梨日日新聞に載っていたのだと思いますが(すみません、新聞がなくなってしまいました)、舞鶴の松がとうとう完全に枯れてしまったそうです。いままで、様々な治療をほどこしてきたそうなのですが、努力の甲斐なく・・・

カタチあるものはいつかは・・・とは言いますが、山梨を代表する木でしたからね。寂しいですね。

 <2007/9/13 追加>