甲斐武田を探検っ!!

       おいらん堂

 

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史跡・関係地名: おいらん堂

住所:山梨県北都留郡丹波山村奥秋

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:〇

売店:×

関係人物:黒川金山衆


<黒川金山とおいらん>甲斐武田氏を支えた金山といわれる黒川金山。この地の西方に実在したのですが、この地域は金山が多くあったとされています。
  伝説では、黒川金山は職人とともに多くの遊女もいました。しかし、金山からの産出量がなくなると、その金山技術などの漏えいを防ぐため、黒川谷に沈めたといわれています。その場所が現在の「おいらん淵」。
後日、この地に谷に落された遊女たちの死体が流れ着いたのだそうです。哀れに思った住人たちはお堂を建て、手厚く葬ったそうです。







<地域によるお堂再建>長い年月が経ち、雨風などによりお堂は朽ち果ててしまっていたそうです。その状態があまりにも寂しいということで、昭和64年地区住民により再建されたのだとか。
  駐車場もなく派手なものなどもないので、人が集まる観光名所にはなれないのでしょうが、地域の方々の中に生き続ける「おいらん」なのであります。




<言い伝えと現実>当然おいらん淵にも悲しい言い伝え?伝説?が残されています。「心霊スポット」として紹介されていましたね。自分自身も「肝試し」的に行ってみたりもしました。

  が、現実は少し違うようです。戦国期の金山はかなり開かれた場所であったようで、職人らが中心となり街を形成していたといいます。当然人やモノの流れも多くあるわけで、「おいらん」だけ口封じしたところで何も秘密保持されるわけではありません。
  では、現実に目の前にある「おいらん堂」は何?「なんなんでしょうか・・・」というのが今のワタクシの答え。

  ちなみに「隠し金山」という言葉もありますが、当時は何も隠していないのが現実だったようです。「隠し金山」などというミステリアスな言葉は、観光業の振興などのために昭和時代あたりで古くから伝わっていた、チョットした話が少しずつ盛られていったようです。

周辺の甲斐武田氏関係地: おいらん淵黒川金山など

参考文献・資料:甲斐黒川金山/塩山市教育委員会・
山梨考古博物館平成28年度館長講座「金銀山の考古学」「『黒川金山遺跡』と『湯之奥金山遺跡』の発掘調査」など

<2016/5/28>