甲斐武田を探検っ!!

       黒川金山

 

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史跡・関係地名: 黒川千軒・寺屋敷・鶏冠神社奥宮

住所:山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△(駐車スペースから1時間以上)

説明板:×

売店:×

関係人物:武田信玄・武田勝頼・黒川金山衆



撮影日2016年1月3日。大菩薩嶺と富士山、黒川鶏冠山より。



<金山はもちろん山の中>武田氏の資金源であったといわれる「金」。金の産出地であった当時の甲斐ですが、その中でも有名な黒川金山。
  金山跡は山梨県北東部、日本百名山の大菩薩嶺のさらに北方の一之瀬高橋地区にあります。甲府と東京都青梅市を結ぶ国道411号から林道に入り、道路脇に駐車。そこから廃道気味の未舗装の林道を歩き、沢を渡ります。そこからは本格的?に山歩きとなります。黒川千軒だけでもとても素晴らしい場所なのですが、ゼヒ黒川鶏冠山山腹にある中世の宗教施設跡といわれる寺屋敷尾根、そして黒川鶏冠山山頂の鶏冠神社奥宮には足をのばしたいところ。

  登山口となる駐車スペースから黒川鶏冠山まではいわゆる「破線ルート」、登山コースではあるが「難路」という位置づけとなっています。くれぐれも軽い気持ちで入らないようお願いいたします。しかしながら、このコースを歩いて巡るとなると、疲労感に勝る充実感をたっぷり味わえる山歩きとなるはずです。


    


<国指定史跡>世の中、現代はもちろん戦国時代においても「金」はとても重要なものでした。金の価値はもちろんですが、金の産出に従事した「金山衆」が武田信玄の指揮のもと戦において、工兵の役割を担ったこともよく知られています。信玄=金というイメージが強いですよね。金の産出地であった当時の甲斐ですが、その中でも特に名が知られているのは黒川金山でしょう。黒川金山は、1997年に発表された「甲斐黒川金山 山梨県塩山市に所在する戦国時代金山遺跡の総合調査」という非常に読み応えのある書籍がありますので、それを参考にしながら話をすすめます。

   黒川鶏冠山東にある黒川谷に所在する大規模な鉱山町の跡を「黒川千軒」といいます。金山のみでなく、それに従事する人々の住居もあった場所です。「千軒」という名称からもわかるように最盛期には相当数の人口がいたようです。発掘調査での遺物などから、黒川千軒は15-16世紀に形成されています。それ以前にも砂金採りなどで少量ながら金は産出されていたと考えられていますが、特に武田信虎から信玄の代にかけ発達。しかし武田勝頼の代になると、金はほぼ産出されなくなったと思われます。天正五年(1577年)に金が産出されなくなったという文書が残されていたり、黒川金山再興を祈願した武田勝頼による鶏冠神社神宝の鏡の寄進があり、勝頼の代でほぼ産出されなくなったと考えられます。


    

    

    

<黒川千軒>黒川千軒跡を歩く登山道は黒川谷沿いになっています。沢周辺にある様々な遺跡を眺めながら歩くことができます。周囲をキョロキョロしてみましょう。といっても、足もとは不安定なので、必ず停まって。
   周辺の斜面には無造作に岩が露出した場所があります。しかし、よく見てください。そこは坑道跡かも。個人的に坑道入口は、車道のトンネルのような状態になっているのがイメージとして持っていたのですが、戦国期などはそんなことはなく「岩と岩の間」のイメージ。
  また沢沿いの登山道なので徐々に高度を上げていくのですが、進むにつれ石積みが多く確認できるようになり、テラスも上方から見下ろす状態でわかりやすくなります。
   コース上には道標があります。その道標からは周回できるコースが分岐していますが、現在は通行止めとなっています。荒れていたりもしくは完全に崩れていたりなど危険なこともあるので無理やり入らないようにしましょう。ちなみに恐らくですが、周回コースは比較的新しい年代部分の遺構を巡るコースとなると思います。


    

<寺屋敷>黒川金山から現在の柳沢峠に向かう登山道はかつて金の運搬はもちろん、黒川千軒からの生活路として使用されていたと考えられています。その登山道の途中にあるのが「寺屋敷尾根」。黒川鶏冠山からの尾根ですが、登山道が横切る付近は平坦地となっています。ここも発掘調査が行われており、かつては宗教施設が存在したのでは?と考えられています。


   <鶏冠神社奥宮>山梨百名山のひとつに数えられる標高1716mの黒川鶏冠山。ここに登るには柳沢峠からがメジャーなコース。駐車場もあり、国道から登れ、傾斜もさほどきつくないコースなので人気があります。また、北方から落合登山口を利用する手段もあります。前述したように黒川金山を経由するコースは最も厳しいコースとなっています。
  どのコースも山頂手前で合流。これまでは歩きやすい登山道を歩くのですが、ここから山頂までは険しい岩場が待ち構えています。ひとつピークを過ぎ、さらに奥(東)に進むと周囲が切れ落ちた山頂に到着です。山頂は展望がきき、大菩薩嶺や奥秩父の山々さらには富士山などが望めます。山頂には山梨百名山標柱が建っていますが、その奥に鶏冠神社の奥宮が鎮座しています。

  江戸期に記された文書によると、黒川山中には「魔王」「天神」「鶏冠権現」「東照大権現様」「鶏冠山」という五つの神社・祠があったようです。現在「鶏冠権現奥宮」としてあるこの祠は本来は「鶏冠山」ではないかと考えられています。江戸時代、麓の一之瀬高橋に「鶏冠権現」「東照大権現様」が勧請され里宮となっています。現在黒川山中には鶏冠神社奥宮が存在するのみ。他の4社は荒廃し、どこにあったのかもわからない状態になっています。



<ツワモノどもの・・・>金が採れなくなったというのは天正5年(1577年)。しかしながら、黒川千軒にはそれ以降の年代も生活の跡があります。発掘調査で17世紀ころまでの遺物が発掘されています。金が採れなくても、多くの人が希望を持ってこの地で採掘していたのだと考えられています。
  時は過ぎ、明治時代になっても再び採掘が行われています。黒川千軒の黒川谷上流部(現在通行止め)には明治期の採掘跡が残されているようです。戦国期とは明らかに異なる、立派な坑道入口なのだそうですが、未確認です。
  ともかく黒川金山は長い時間、多くの人を引きつけていたのでしょうね。

  黒川鶏冠山と周辺は個人的にとてもお気に入りらしく、特に狙っているわけではないのですが、なぜか3回以上登っています。チョット予習をしていくと充実感というか自己満足感が山盛りになるのです。

周辺の甲斐武田氏関係地: おいらん淵など

参考文献・資料:甲斐黒川金山/塩山市教育委員会・新版アタック山梨百名山/山梨日日新聞社など

<2016/2/15>