甲斐武田を探検っ!!

       大菩薩峠

 

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ks047

史跡・関係地名:大菩薩峠

住所:山梨県甲州市塩山上萩原

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○(上日川峠などに)

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:松姫(信松尼)など

<日本百名山>日本百名山「大菩薩岳」(山梨百名山では大菩薩嶺)、標高2057mの山ですが、とにかく中里介山小説「大菩薩峠」でしょう(すみません、読んでないのですが・・・)。小説人気と、東京という大都市から近く、稜線を歩くという爽快感もあり、多くの人が訪れる大菩薩峠。メジャーな場所ですね。下の写真は現在の大菩薩峠。

 

現在「賽の河原」と呼ばれる避難小屋のある鞍部(稜線の凹部)がかつての峠であったとか。

上の写真の中央部の凹んでいる箇所が旧峠です。小さく避難小屋が確認できるでしょうか?

<松姫>こちらの峠は松姫が通ったのでは?という説があります。

松姫は武田信玄の娘。今川義元が桶狭間で討死すると武田家は駿河に侵攻しますが、その時期には武田家と織田家は友好関係にありました。そして松姫と織田信長嫡男の信忠は婚約していますが、三方原合戦などの両国間の緊張により婚約は破談。長篠(設楽原)合戦などを経て武田家は滅亡しますが、松姫は結婚をしておらず(信忠との復縁を望んでいたとも・・・)、織田家の武田家臣捜索の目をくぐり抜け、武蔵(現東京都)八王子に落ち延びています。八王子では剃髪し信松尼と称し、武田家やその家臣の冥福を祈って暮らしたのだとか。

松姫は織田軍の武田領侵攻時、勝頼弟仁科信盛の守る信濃(現長野県)高遠城に居ましたが、新府城(現韮崎市)に落ちてきます。しかしながら武田当主勝頼の城「新府」も放棄することとなり、甲府盆地を東に向かい勝頼とともに移動を開始します。郡内地方の小山田氏を頼る勝頼一行は土壇場で小山田信茂で裏切られ、田野で死去。しかし、松姫は生き延び・・・。となっているのですが、松姫の甲斐東部から八王子までの経路は特定されていません。

有力なのは当然近くまで来ており当初越えようとしていた笹子峠。しかし、松姫が甲斐東部から落ちるため行動を開始したのは武田家滅亡後。織田軍などの残党狩りが激しく行われていたものと思われ、笹子峠は非常に危険のある峠であったと思われています。では・・・、ということで考えられたのが大菩薩峠。ただし、2000mという高地であることなどからこちらも疑問をもたれています。現在は多くのルートが考えられています。

<ご注意を>大菩薩峠に行った際にちょっとしたコネタとして語っていただければ・・・。「おおっ」と周囲の見る目がかわるか、「ちっ」とウザがられるかはアナタ次第。

なお、大菩薩峠は2000mクラスの山です。駐車場のある上日川峠から徒歩で1時間30分はかかりますので、あまりにも気軽な装備・スケジュールで行かないようにお願いします。山装備で是非快適なトレッキングを!

周辺の甲斐武田氏関係地:雲峰寺など

参考文献:甲斐国志・山梨百名山/山梨日日新聞社など

<2012/10/29>