甲斐武田を探検っ!!

       武士原の塁

 

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ks046

史跡・関係地名:武士原の塁

住所:山梨県甲州市塩山三日市場

場所のわかりやすさ:△

駐車場:○(常泉寺に)

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:網野新右衛門・栗原昌治など

 

<松尾山常泉寺>三日市場地区仏師原の浄土真宗大谷派松尾山常泉寺。聖徳太子が立ち寄ったという言い伝えの残る寺院です。お寺には聖徳太子像・太子橋・腰掛石が伝わります。常泉寺は、創建時天台宗安平寺でありましたが、文禄年間(1592-1595)に浄念という僧により浄土真宗に改宗され常泉寺となったと伝わっています。図説山城探訪によると、徳川氏の印判状に網野新右衛門宛で「安平寺分」と見えることから網野氏との関係が考えられ、また浄念の妻は栗原信盛(昌治だと思われます)の娘であると伝わっていることから栗原氏との関係も考えられますが、史料的には何も残されていません。

<謎の土塁>「仏師原(現在は武士原)」は甲斐源氏の安田義定が放光寺の金剛力士像を造るため、仏師を住まわせたことから名づけられたといわれます。この地域には職人が住んでいたということになりますね。また、常泉寺北方には網野新五左衛門屋敷という土豪屋敷跡も伝わっています。古くから様々な人物が居を構えたようです。

 

さて「武士原の塁」ですが、常泉寺の鐘楼の南側付近に若干の土の盛り上がりが見え、それが南にのび竹林の中に消えていっています。これが「武士原の塁」。微妙な高さなので、夏場の雑草が茂った状態ではかなり確認が厳しいと思います。左上写真は東方からの写真、右は北方からの写真です。

なお、常泉寺南の民家にも土塁跡が残されているようです。しかしながら、その存在は古くから指摘されていながら、誰がなんの為(恐らく屋敷周りの土塁か?)に使用したか、明確にはわかっていない「武士原の塁」でした。網野氏?栗原氏?仏師?それとも?謎です。

周辺の甲斐武田氏関係地:網野新五左衛門屋敷十組屋敷など

参考文献:図解山城探訪第16集/宮坂武男・甲斐国志など

<2012/7/24>