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       橋爪和泉守屋敷跡

 

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史跡・関係地名:橋爪和泉守屋敷跡

住所:山梨県甲府市上於曽

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:橋爪和泉守・橋爪七郎右衛門・橋爪宮内助など

<橋爪家とは>JR塩山駅北側の、最近になって宅地化が進んできたと思われる上於曽地区の一角。アパートなどが建つ中に広大な敷地を持つ立派なお宅があります。こちらが橋爪和泉守屋敷跡といわれるところ。遺構は残念ながら残されていないのですが、yahoo!mapをご覧になるとわかるように、屋敷跡の外郭がくっきり判別できます。

 

庭正面には四脚門が建っています。それを見ようにもご覧のように、遠いんです・・・。広さを実感。

 

 

敷地内には「橋爪和泉守屋敷跡」の真新しい石碑が建ちますが、これは甲斐武田氏の研究で有名な服部治則氏が平成八年に記したもの。

橋爪家系譜によると、橋爪和泉守は於曽氏に仕えています。もともとこの地の土豪であったかと思われます。和泉守の後継は七郎右衛門、出羽守も称したのだとか。天文二十四年(1555)七月十九日信濃川中島の戦い(第二次川中島合戦)において、上杉方の将を討取ったとして武田信玄より感状を賜っています。さらに永禄十二年八月二十五日板垣信安(旧於曽氏・永禄初期板垣信憲成敗により板垣氏を継いだといいます)から病気治癒祝いとして三貫文賜っています。於曽氏・板垣氏に仕えていたのでしょう。その七郎右衛門後継の宮内助も武田家に仕えますが天正十年(1582)三月武田家滅亡。しかし、天正十年四月には於曽郷の禁制の朱印状を賜っており、さらに天正十二年(1584)十二月五日には徳川家康からは本領安堵の朱印状などを賜っています。宮内助の二代後理右衛門長次は甲斐山梨郡徳美藩の藩主伊丹播磨守勝長・大隅守勝政に代官として仕えています。長次の子の代に徳美藩は取り潰しになり、その結果橋爪家は帰農したと伝わっています。

<天親山法性院>橋爪氏お宅の北側、道路を挟みますが橋爪氏の明治以前の墓所があります。ここはかつて臨済宗向嶽寺派天親山法性院という寺院があり、橋爪和泉守が開基したと伝わっています。後年無住になり廃寺になったそうです。墓所は立ち入れないようになっていますのでご注意下さい。

周辺の甲斐武田氏関係地:於曽屋敷向嶽寺など

参考文献など:甲斐国志・塩山市史・橋爪家の歴史・武田氏年表-信虎信玄勝頼/武田氏研究会など

<2011/11/28>