甲斐武田を探検っ!!

       風間氏屋敷

 

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ks038

史跡・関係地名:風間氏屋敷

住所:山梨県甲州市塩山下於曽

場所のわかりやすさ:○

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

 

関係人物:風間佐渡守・風間庄左衛門尉・黒川金山衆など

<金山衆の仕事>黒川金山衆、現甲州市塩山の黒川金山で金の採掘に従事していた者たちですが、彼等を表舞台に登場させた出来事と言えば元亀二年(1571)一月、信玄による駿河深沢城攻め。この攻城戦で信玄は黒川などの金山衆を動員。本丸付近まで横穴を掘らせ、城内を心理的に追い詰め開城させています。この戦功により、金山衆は信玄より褒賞を得ています。また、彼等の土木技術は後の治水事業などにも活かされたと伝わります。

 

 

<黒川金山衆の屋敷跡>塩山駅西信号を南に下り、於曽屋敷を通り過ぎしばらく進むと右手に土塁状の盛り土が目立つワイナリーがあります。「土塁状の盛り土」は中世の土塁ではないのですが、実はここは中世の黒川金山衆の風間氏屋敷跡。県道からは見えませんが、西と南には土塁跡が残されています。しかし、敷地内なので周囲からはしっかり確認する事はできません。ワイナリーにお邪魔するしかないのでしょうね・・・(今回は外からのみ)。屋敷跡西には水路も流れており、こちらも微妙に流路を変更させたりしており、屋敷跡と関係があるようです。

塩山市史史料編によると、こちらのお宅は風間佐渡守屋敷跡と古くから伝わり、同家には佐渡守の位牌も伝わっているのだとか。法名は「覚良院寛山祐泉居士」。しかしながら、佐渡守の事績などはほとんどわかっていません。同じ風間姓の金山衆で「風間庄左衛門尉」がいますが(天正十一年徳川家印判状)、庄左衛門尉と佐渡守、さらには風間氏屋敷の関係もよくわかっていません。屋敷跡は一辺70メートル強の方形で、一町(約109メートル)四方の屋敷跡と比較すると小さめ。何か理由があったのか・・・と塩山市史では問いかけています。

しかし、この周辺(下於曽・上於曽・熊野・赤尾など)は金山(かなやま)衆を中心とした中世屋敷跡が集中しています。遺構あるなしがありますが、怪しいな・・・と思ったら、ヤッパリ屋敷跡。そのような状態です。当然金山衆に関連する寺社もあるわけで。一日以上かけてじっくり楽しみたい区域ですが、予習を進めます。ドコが誰だのなのか訳わからなくなりますよ(体験者です)。

 

<祐泉寺>屋敷跡のすぐ西隣には祐泉寺というお寺がありました。このお寺は風間氏ととても深い関係にあったようで、現在は廃寺になりましたが、今も石塔が残されており、奥の竹やぶにも痕跡が残されているようです。

周辺の甲斐武田氏関係地:田辺氏屋敷・於曽公園熊野神社など

参考文献など:塩山市史史料編・甲斐国志・甲陽軍艦・新歴史群像シリーズ闘神武田信玄/学研「軍事・経済大国を支えた黄金の山/萩原三雄」など

<2011/8/17>