甲斐武田を探検っ!!

       熊野神社

 

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ks037

史跡・関係地名:熊野神社(拝殿と本殿二棟は国重要文化財)

住所:山梨県甲州市塩山熊野

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

 

関係人物:武田信玄・武田勝頼・石原甫直・今井信甫など

<熊野郷鎮守>社記によると、大同二年(807)に紀伊の熊野神社から勧請され建てられたと伝わります。古来より熊野大権現と呼ばれ崇敬を集めてきました。熊野郷鎮守の熊野神社、こちらには国の重要文化財があります。そのうちのひとつめ、「拝殿」は天文十八年(1549)の建立と考えられており少なくとも室町時代後期のモノであるようです。さらに「本殿」、六棟ありますが向かって右の二棟が重要文化財。文保二年(1318)に建てられた(再建)ものとされ、当時の様子・形式を物語るとても貴重な建物なのだとか。

 

 

 

こちらの熊野神社は武田家から崇敬を受けており、武田信玄寄進の「飯綱権現像図」「刀八毘沙門天像図」、武田勝頼寄進「欹器ノ図」「渡唐天神像図」が県指定文化財に指定されており、その他文書などが残されています。甲斐武田氏も多く関わった歴史の重みを感じさせる場所です。また、拝殿のお賽銭箱付近のレターケースには「熊野神社略誌」があり、無料配布されていますのでこれもお忘れなく!

 

<三枝朝臣石原孫右衛門甫直>最近の研究で、武田信虎の弟である勝沼信友(勝沼武田氏)が天文四年(1535)戦死した後、武田氏庶流である今井氏(府中今井氏)の信甫が勝沼の地に入り、勝沼武田氏の名跡を継いだと考えられています。その今井信甫の代官として石原甫直という人物が、天文十八年(1549)熊野神社本殿を再興した際の棟札に記されています。「三枝朝臣」ということは、古代甲斐での有力一族三枝氏の支流の石原氏。古代三枝氏では天禄二年(971)大善寺を開創したと伝わる「三枝守国」が有名な人物。この石原氏は神社周辺に住んでいたと考えられ、下岩崎という地区には石原氏館跡という場所も伝わります。また、「戦国大名武田氏の権力構造」の中で著者丸島和洋氏は石原甫直の「甫」は今井信甫から偏諱を受けたものであろうとしています。

戦国時代の三枝氏といえば三枝昌貞(守友)やその父虎吉などが知られています。彼等は現中央市(甲府盆地南部)に勢力を持った一族。今井氏の被官であった三枝石原氏とは、地理的にも近いとはいえないうえ、直接の関係を探し出すことができないのだとか。しかし、三枝昌貞の子等は武田家滅亡後、三枝守国とのつながりを積極的に系図に取り入れています。武田氏滅亡後の三枝氏、通字に「守」がついていますし、甲斐国志によると三枝虎吉の父は石原守綱といい、後に三枝を名乗ったといわれていますがこの件、甲斐国志以外の当時の文書などには触れるものがありません。武田氏の代のときは山県氏との関係をアピールしていたようで、実際「山県姓」を名乗る文書が虎吉・昌貞ともに残されています。江戸時代になると、より高貴な御先祖様とのつながりをアピールしたく?なったのでしょうか。これらのことも「戦国大名武田氏の権力構造」に紹介されているので、ご覧になられるとまた甲斐武田が楽しくなります!彼の性格的な部分も記されていますのでこれまた楽しい!

山県昌景お気に入りの三枝昌貞、さて彼は本当に三枝なのか?

周辺の甲斐武田氏関係地:勝沼氏館跡向嶽寺など

参考文献など:戦国大名武田氏の権力構造/丸島和洋・武田氏研究40号「府中今井氏の消長/秋山敬」・甲斐国志など

<2011/8/8>