甲斐武田を探検っ!!

       天目山棲雲寺

 

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史跡・関係地名:臨済宗建長寺派天目山棲雲寺/武田信満墓所・武田軍旗など

住所:山梨県甲州市大和町木賊

場所のわかりやすさ:○

駐車場:○

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:武田信満・武田勝頼・武田信玄など

<雲に棲む寺>棲雲寺、パンフレットにも記されている通り人里離れた山の中・・・そのような立地にあるお寺さんです。山道で冬期は凍結などもあるようなのでご注意ください。

棲雲寺は貞和四年(1348年)創建で、開基は武田信満、開山は業海本浄和尚。武田氏の保護を受けますが、武田家滅亡の際全焼。その後、文禄元年(1592年)再建されています。天正十年(1582)武田勝頼は郡内小山田氏に笹子峠を封鎖され、田野(景徳院付近)で自刃していますが、棲雲寺を目指したとも言われています。

 

<武田信満墓所>信満は甲斐守護であり、甲斐武田家十三代当主。ちなみに武田勝頼は二十代と言われています。信満の生年は不明、没年は応永二十四年(1417年)。武田信春の嫡男(母親は郡内小山田氏娘)として生まれ、兄弟には武田信元・穴山満春(穴山氏祖)がいます。

武田信満は応永二十三年(1416年)上杉禅秀の乱に際し、禅秀側に加担。禅秀は幕府側に破れて自刃し、信満もこの地で自刃して果てます。彼の死去後、息子の信重らは高野山に逃れたため、守護不在の甲斐国内は内乱となります。信重が高野山から甲斐に戻った後も火種はくすぶり続け、甲斐が統一されるのは武田信虎が登場するまで待たなければなりません。

 

本堂横に武田信満の墓所があります。棲雲寺の説明によると、中央の右側が信満の墓と伝わっています。周囲に五輪塔などが28基ありますが、これは家臣団のモノだと伝わっています(市指定史跡)。

<文化財の宝庫>棲雲寺には33の国・県・市指定文化財があります。

  

左から国重要文化財「普応国師坐像」、県指定有形文化財「開山 業海本浄坐像」、同じく「釈迦如来坐像」。普応国師は業海本浄和尚の師僧で、国師の肖像彫刻は中世彫刻でも造形的にもっとも優れた作といわれる文和二年(1353年)のモノ。

  

左は武田軍旗。こちらの「赤い軍旗」は武田勝頼が田野で自刃した際の遺品と語り継がれています。総高177.5cm、幅37.2cm。この旗のもとで、武田軍は「戦国最強」とうたわれていたのでしょうか(市指定文化財)。後で説明いたしますが、「風入れ展」では軍旗がガラスなどを通さず、目の前に展示されています。勝頼とともにあった軍旗・・・とても興奮します。

この他にも県指定名勝の庭園、市指定の武田信玄公軍配、同じく武田信玄公陣中鏡など。写真を撮るのを忘れてしまいましたが、銅鐘は延文四年(1359年)作で県指定文化財であり、「甲斐の五鐘」の一つ(他は久遠寺・広厳院放光寺永昌院)に数えられています。

さて、棲雲寺では毎年11月上旬に、檀家総代会主催の「宝物風入れ展」が開催されます。栖雲寺の普段見ることのできない、貴重な文化財などがじっくり堪能できますので、周囲の紅葉とともに、お出かけしてみてはいかがでしょう?

なお、棲雲寺は栖雲寺とも記されます。

周辺の甲斐武田氏関係地:景徳院など

参考文献:武田氏年表―信虎・信玄・勝頼/武田氏研究会・甲斐国社記寺記・天目山栖雲寺宝物風入れ展パンフレット・栖雲寺HPなど

<2010/11/10>