甲斐武田を探検っ!!

       迦羅陀山延命院

 

 史跡一覧へ

 人物一覧へ

 トップへはこちら→

ks034

史跡・関係地名:臨済宗向嶽寺派迦羅陀山延命院

住所:山梨県甲州市塩山竹森

場所のわかりやすさ:△

駐車場:△

説明板:○

売店:×

地図:

関係人物:恵光寺善勝・恵光寺周快など

 

<竹森領主の恵光寺周快>寺伝によると文明八年(1476)建立、開基恵光寺周快(桧とも)。開山は向嶽寺十二世真翁玄可(しんおうげんか)和尚の法孫睦庵宗信(ぼくあんしゅうしん)和尚。延命院本堂屋根には武田菱が映えます。なぜ武田菱か?もちろん武田氏と関係深いからですが、「武田信重」によると開基の恵光寺周快という人物、武田信重の六男であり、武田信守・穴山信介・小佐手永信(小佐手氏祖)・八代基経・下曾根賢信(下曾根氏祖)などは兄弟になります。

その周快ですが、かつては竹森左馬助光守と名乗ったようです。彼は僧としてだけではなくこの地域の領主としても活躍していました。周快の長男は恵光寺慶臨といい、引き続き竹森地区を治めていたようです。周快の次男は永昌院(武田信昌墓所)開山の一華文英、高僧として有名ですね。

 

 

<延命院の十三仏石像>延命院山門横に十三仏堂があります(甲州市文化財)。お堂横の説明によると、十三石像は死者の供養に関わる信仰であり、南北朝時代後期から民間で盛んに行われるようになったのだとか。逆修供養(生前にあらかじめ死後を供養すること)がほとんどを占めていたようですが。さて、こちらの石像は大永七年(1527)に造立されたもので、「恵光寺檀那 善勝」と刻まれたものがあるそうです。そのことから善勝とその周囲の人間らが造立したのもだと考えられています。恵光寺善勝自身の詳しい動きなどはわかっていませんが、彼の祖父は恵光寺周快、父は慶臨、嫡子は宗賢。善勝の孫は天正三年(1575)長篠に出陣、討死しています(法名 竹森院華林芳香禅定門・名は明らかにはなっていません)。周快の家系は、周快-慶臨-善勝-宗賢-と続く、武田信重〜勝頼の代に生きた一族です。

石像の写真ですが・・・。ガラスに反射して上手く撮れませんでした・・・。相変わらずのツメの甘さ・・・

周辺の甲斐武田氏関係地:恵林寺放光寺など

参考文献:武田信重/磯貝正義 ・甲斐国社記寺記・・新編 武田信玄のすべて/柴辻俊六 など

<2010/11/2>