甲斐武田を探検っ!!

       東岳山光照寺

 

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史跡・関係地名:曹洞宗龍安寺末東岳山光照寺/(早川氏屋敷跡)

住所:山梨県笛吹市境川町前間田

場所のわかりやすさ:△

駐車場:×

説明板:×

売店:×

地図:

関係人物:早川弥三左衛門・早川肥後守・早川豊後守など

 

<早川弥三左衛門>曹洞宗龍安寺末東岳山光照寺には早川弥三左衛門幸豊の位牌が残されています。寺記によると、弥三左衛門は元和元年(1615)死去、法名は「東岳院殿一山昌光禅定門」。光照寺は文禄ニ年(1593)創立されたと伝わっています。

さてこの地域、武田家滅亡後の天正十三年(1585)正月十四日、前間田の地三十五貫文などを徳川家より早川弥三左衛門へ安堵されています。武田氏の時代から早川氏の所領であったことがうかがえます。「武田氏遺臣の研究/早川春仁」などによると、早川氏は弥三左衛門の祖父肥後守の代に武田信虎に仕え、この地に居を構えます。肥後守の子豊後守が川中島合戦の恩賞により中尾(現笛吹市一宮町中尾)を賜り移住、子孫は現八代町米倉・一宮町中尾などに広がっていったと伝わります。

弥三左衛門、かつては馬場美濃守信春に属し父子で活躍、その際父豊後守と弥三左衛門は美濃守より山本勘助流の軍学を伝授されたのだとか。その後、土屋惣蔵同心を経て武田氏滅亡後、弟半兵衛とともに徳川家康に出仕、井伊直政に仕えます。甲州流(勘助流とも言われますが?)を用い彦根城の縄張りの責任者は弥三左衛門であったと言われています。

光照寺のすぐ近くにはリニアモーターカーが走ることになっています。上の写真は2006年頃のもの。綺麗にまっすぐ空き地が広がります。ちなみに奥に見える小高い丘は「坊ヶ峰」。武田信虎と油川信恵が戦った古戦場です。  

<早川肥後守行憲屋敷跡>境川村誌には、伝説として「早川屋敷」が紹介されています。村誌によると、肥後守は信虎・晴信に仕え、永禄元年死去(国志には信濃瀬沢にて戦死とありますが、瀬沢の戦いは存在が疑われています)。永禄六年に子の豊後守(龍安寺殿一峯源心大禅定門)は中尾に移住。その子弥三左衛門は又ここに居住したとか。しかし現在その旧址は判然としないそうです。ちなみに「行豊」という名は国志などでは記載されていますが、正確には確証がないようです。

周辺の甲斐武田氏関係地:聖応寺・龍安寺など

参考文献:武田氏遺臣の研究/早川春仁・甲斐国志・武田信虎のすべて/柴辻俊六など

<2007/5/28 2011/3/13リニューアル>