甲斐武田を探検っ!!

 

広厳院

 

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国道137号線、下黒駒交差点を左に曲がって行けばわかりやすいと思います、「広厳院(こうごんいん)」。

あまり聞かない名前かも知れませんが、なかなかどうして。武田信昌(信虎の祖父)が文明十九年(1487)寺領を寄進して以来、勝頼まで武田家五代の庇護を受けたそうです。また、武田家滅亡後は徳川家の保護を受けたんだとか。甲府大泉寺とともに甲斐曹洞宗の大元として県内830のお寺を統括しており、最盛期では僧80人、敷地26000坪(約86000屐法境内の周囲は1里24町(約4.9Km)、また石和町中川という地区から広厳院まで長い参道があったそうです。

甲斐国内に多大な影響力を持つお寺であったため、武田家・徳川家より数多くの書状(主に土地寄進状)が発行されていて、現存の36点は県の指定文化財に指定されています。また、武田氏五代(信昌・信縄・信虎・信玄・勝頼)の寄進状が揃って存在するのは非常に珍しいそうです。

有名な話では、武田家滅亡後、徳川家康が甲斐に入国した際、武田勝頼らの菩提を弔うため、武田家臣で勝頼に殉じた小宮山内膳友晴の弟、広厳院第七世拈橋(ねんきょう)を開山とし、景徳院を創立します。

武田信虎の母(崇昌院殿華岳妙英大姉、・・・岩下氏娘の桂岩妙昌大姉と同一なんでしょうか?最近出版された「武田信虎のすべて」では信虎の母は岩下氏娘で「崇昌院殿」となっていますが、チョット前の資料では岩下氏は「桂岩妙昌大姉」・・・広厳院文書などからもどうやら信虎母は崇昌院殿だそうです)の菩提寺でもあるそうです。

あ、そうそう!桜が綺麗らしいですよ、4月上旬に行くと抜群かも!

 <2006/12/30>