甲斐武田を探検っ!!

 

光源院 内藤肥前守墓所

 

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光源院は市川三郷町(旧三珠町)高萩地区という、山間で自然盛りだくさんの場所にあります。

目的場所の内藤肥前守墓所ですが光源院本堂のある敷地内にあると思って行ったのですが、全然見当たりません!

 

で、周辺をうろつきまして、道はさんで反対側にやっと見つけました。こちらお墓には説明板もしっかりあります!!駐車場はキチンとした場所はなかったと思いますが、道端に止めるだけのスペースはたくさんありました。

さて「内藤肥前守雅明」は、九一色筋警護のためこの地に住み地頭となったそうです。さらには九一色衆の一人として、渡辺因獄佑(ひとやのすけ)土橋大蔵丞などとともに主に駿河国境警備(古関と本栖に関がありました)などにあたっていたり、また諸商売特権を武田氏やその後の徳川氏からも受け、物資輸送や商品売買などで生計を立てていたようです。

九一色衆は、甲斐と駿河を結ぶ中道往還沿いの上九一色や精進地区などに広く分布する土地に住む武士団です。他の武士集団としては武川衆・御岳衆・津金衆などが有名です。

光源院は内藤肥前守雅明の子、孫三郎雅綱により建立されたそうです。その孫三郎雅綱は九一色衆十七騎の一人に数えられ、武田氏滅亡後は浪人、この地に住みます。後に子孫の方は、西花輪(現中央市)に移住し、里長を務めたそうです。

石段周辺、緑がものすごくキレイでしたよ! 

 

 

内藤肥前守墓

<2006/8/11>

九一色衆十七騎、一ノ瀬平三・大垣図書・河埜三右衛門・河埜越前・河野新十郎・田中兵部広泰・田中弥右衛門・土橋大蔵・土橋左衛門・内藤織部・内藤孫三郎・藤巻孫八郎・向山又八郎・渡辺五郎兵衛・渡辺治郎左衛門・渡辺次郎兵衛・渡辺但馬となっています。彼らは天正十年(1582)7月甲駿往還警護の御朱印を賜った17人です。

<2007/7/26 追加>