甲斐武田を探検っ!!

 

金剛寺

 

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ks017

天正十年(1582)武田勝頼は嫡子信勝らともに織田・徳川軍により自刃、武田家は滅亡してしまいます。しかしながら、その前に勝頼は「曽根源助」に、武田の遺物を高野山に運ぶよう伝えました。命を受けた源助は無事高野山に武田の遺物を届けます。そしてそのまま高野山に留まり剃髪、源心と称します。後に源心は甲斐に帰国し、ここ高岳山金剛寺に入ります。そしてこちらのお寺の中興開祖となって武田の菩提を弔っていたんだとか。

 

そのように「勝沼町誌」には伝えられています。なお、お寺にはそのような説明版などはありません。普通のお寺です。

また、別の話では武田家滅亡直前、武田勝頼は一宮の慈眼寺住持尊長に黄金10両とともに、遺品を高野山引導院に納めるよう依頼します。尊長は事情により行けませんでしたが、たまたまそのお寺にいた根来寺僧空円坊に託し、無事納めることができたそうです。この中に、武田信虎の肖像画、さらには勝頼・北条夫人・信勝3名の肖像画などが含まれていたんだそうです。

信用できる話は、慈眼寺尊長のほうみたいですけど・・・ちょっとした伝承が、山梨県民の「武田」に対する崇拝?愛着?を感じさせますね。

ちなみにすぐ近く(川向こうですが)に勝沼氏館跡があります。

 <2007/1/24>